イシク・クル湖北岸の岩絵1 シカの角が樹木冠に?
岩絵という言葉から、先史時代の人々が描いたものを想像する。チョルボン・アタ岩絵博物館のパネルにも、前2千年紀からのものがあるとされていたが、見学した岩絵と墓は、サカまたは烏孫の時代のものだった。サカについて『スキタイと匈奴遊牧の文明』は、イラン西北部のビーストゥーン碑文によると、アカイメネス朝はサカを以下の三種に分けていた。それは、サカ=ティグラハウダー(尖り帽子のサカ)、サカ=ハウマヴァルガー(ハ...
View Articleイシク・クル湖北岸の岩絵2 サカ・烏孫期のオオツノヒツジは新石器時代のものが手本?
チョルポン・アタの岩絵に登場する動物で最も多いのはオオツノヒツジ(アイベックス、現地の説明板より)である。チョルポン・アタの岩絵で見学したのはサカあるいは烏孫が描いたものとされ、前8-後5世紀と、岩絵にしては時代の下がるものだった。イシク・クル湖に流れ込む川の下流平地に新石器時代からの岩絵が残っていて、弓のようにカーブしたオオツノヒツジだけでなく、角が渦巻くように表された草食獣も描かれていて、その名...
View Articleイシク・クル湖北岸の岩絵3 車輪と騎馬
青銅器時代の岩絵にスポークのある車輪や馬に乗る人が描かれていることに驚いた。『Masterpieces of PRIMEVAL ART』でイシク・クル湖の青銅器時代について、初期青銅器時代は前3500年-2000年、中期青銅器時代は前2000-1600年、後期青銅器時代は前1600-1200年、初期鉄器時代は前1200-450年としている。車輪と騎馬 動物は新石器時代、車輪は青銅器時代...
View Article中国の古鏡展3 羽状獣文から渦雷文、そして雷文へ
「羽状獣文」について『中国の古鏡展図録』は、羽状獣文は青銅祭器の文様として発達した龍形文様の羽状飾だけを強調した文様である。これを30㎜X15㎜くらいの長方形区画にまとめて縦横に並べている。鋳型への施文は基本的に原型(スタンプ)で地文をつくり、さらにその上に主文様を載せる。このような羽状獣文地をもつ鏡が前4世紀~前3世紀にかけて長江中流域を中心に大流行したという。龍の羽状飾一部分だけの文様もあれば、...
View Articleアク・ベシム遺跡
『シルクロード紀行12』で林俊雄氏は、現在のキルギス共和国の領域は、西部天山山脈の北麓からフェルガナ盆地の南にまで及んでいる。この地にキルギス人が現れたのは今から400-500年前のことで、それ以前は、同じテュルク(トルコ)系の突厥やテュルギシュ(突騎施)、カルルク、イラン系のソグド人、さらに遡ると、やはりイラン系のサカ(塞)や系統不明の烏孫などが住んでいた。天山山脈からキルギス、カザフスタンの草原...
View Articleブラナのミナレットの建造時期は
ブラナのミナレットは焼成の平レンガを組み合わせることによって、外壁を装飾している。これは各地のミナレットに共通するもので、施釉タイルがまだない時代、それも早期のものだろう。しかし、『BURANA』はその建立時期については記していない。その文様から建造期を推測してみると、 卍の段と「工」字形の段が交互に重なっている。卍が入り込んでいるように見えるが、卍ではない。...
View Article石人とは
キルギスで見られる人を象った記念物を石人と呼ぶのは日本人だけだろうか。英語では単にstone carvingという言葉を使っている。『The Stone Carvings at Burana...
View Article中国の古鏡展5 秦時代の鏡の地文様は繊細
今回根津美術館で開催された「中国の古鏡展」では秦時代になると地文の繊細さが際立っていた。同展図録は、非常に細い直線や渦巻線と小珠点とを組み合わせた地文をもち、そのうえに...
View Article始皇帝と大兵馬俑展1 満を持した展覧会
東博、九博に続いて、大阪は中之島の国立国際美術館で10月2日まで開催されている「始皇帝と大兵馬俑展」に、酷暑にもめげずに出かけた。国立国際美術館は会場が地下にある。エスカレータで下りると早速鑑賞者を楽しませる仕掛けが。とはいえ、私にはこの登場人物たちがわからない。 ここにも兵馬俑が。...
View Article始皇帝と大兵馬俑展2 青銅器で秦の発展を知る
では何故今回の兵馬俑展を見に出かけたかというと、2002年に現地で見た銅車馬をもう一度見たいと思ったからだった。今回の「始皇帝と大兵馬俑展」は図録に、秦も、もともとは西方の甘粛省にある山あいで農耕と牧畜を営む小さな勢力に過ぎなかった。前9世紀の西周時代にようやく歴史の表舞台に登場してきた小国・秦が、約700年間を経て競合する国々との争いを勝ち抜き、中国で初めての統一帝国を築き上げるとともに、周王朝の...
View Article天善堂での田上惠美子ガラス展 蜻蛉玉源氏物語
7月に東京で開催された田上惠美子氏の蜻蛉玉源氏物語展の葉書は横長だったが、大阪で開かれる<田上惠美子ガラス展 蜻蛉玉源氏物語...
View Article始皇帝と大兵馬俑展3 銅車馬
将軍や歩兵、立射俑などが置かれた明るい広間を経て入った次の部屋は非常に暗く、そこに銅車馬が展示されていた。『始皇帝と大兵馬俑展図録』は、1980年に、始皇帝陵墳丘のすぐ西側にある陪葬坑で、2種類の4頭立て馬車をかたどった青銅製の模型「銅車馬」が発掘された。大きさは実際の馬車の半分程度であるが、合計6000もの部品からなる複雑な全形がほぼ完全に写し取られていた。表面全体に彩色を施し、馬には金・銀製の金...
View Article始皇帝と大兵馬俑展5 銅車馬と壁画の馬
秦の始皇帝陵西側で出土した銅車馬は実際の馬車をほぼ半分の大きさに青銅で造ったものだった。1号銅車馬は先導車 2号銅車馬は轀輬車そのような4頭立ての馬車が、咸陽宮3号宮殿の壁画に描かれていたという。壁画の簡単な模写...
View Article始皇帝と大兵馬俑展6 馬の鞍
『始皇帝と大兵馬俑展』では、軍馬の俑も展示されていた。軍馬 陶製 高172.0長203.0㎝ 秦時代(前3世紀) 始皇帝陵2号兵馬俑坑出土 秦始皇帝陵博物館蔵同展図録は、騎馬兵とともに並べ置かれていた。背中に騎乗のための鞍があり、それが二重構造である点は北ユーラシアに展開する騎馬文化と相通じるものであるという。この時期には、鞍はあっても鐙というものはまだなかった。二重構造の鞍...
View Article始皇帝と大兵馬俑展7 繭形壺
漢陽陵の陪葬坑の様子とその出土物が展示されている漢陽陵博物館の見学をした時に、日本風にいえば俵形の壺(大阪市立東洋陶磁美術館の表記では「俵壺」)が印象的だった。それは、帝陵外葬坑保護展示ホールのある坑に、間隔をあけて置かれていた(館内は暗く、良い写真がない)。壺で感心したのは、貯蔵用のなので当然かも知れないが、共蓋があるのだった。多数の人物俑は反対側のものがガラスに写っている。...
View Article始皇帝と大兵馬俑展8 陶鍑
以前から騎馬遊牧民や鍑という青銅製の鍋に興味を持っていたが、始皇帝と大兵馬俑展で陶製の鍑に出会うとは思いも寄らなかった。陶鍑 陶製 高16.8幅24.5奥行20.0㎝ 戦国時代(前5-4世紀) 黄陵県寨頭河48号墓出土...
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