将軍や歩兵、立射俑などが置かれた明るい広間を経て入った次の部屋は非常に暗く、そこに銅車馬が展示されていた。
『始皇帝と大兵馬俑展図録』は、1980年に、始皇帝陵墳丘のすぐ西側にある陪葬坑で、2種類の4頭立て馬車をかたどった青銅製の模型「銅車馬」が発掘された。大きさは実際の馬車の半分程度であるが、合計6000もの部品からなる複雑な全形がほぼ完全に写し取られていた。表面全体に彩色を施し、馬には金・銀製の金具をつける豪華さは、始皇帝用の実在した馬車の装飾を反映したものと考えられる。
銅車馬坑は、始皇帝陵の西側に接して築かれた地下坑である。2両の銅車馬は東西一列に並べ置かれ、西を向いていた。始皇帝陵の東側で確認された1-3号坑の兵馬俑のほとんどが東を向いているのと好対照をなしているという。
1号銅車馬(展示品は複製) 始皇帝の先導車
青銅、彩色 総高150.0総長225.0 秦時代(前3世紀) 西安市臨潼区秦始皇帝陵銅車馬坑出土 秦始皇帝陵博物院蔵
同展図録は、1号銅車馬は4頭立てで、車輿には車蓋を立てる。御者は直立して手綱を引いている。
車輿に弩を装備するとはいえ、全体として軽装である点からも、この車馬が軍事用ではなく、特定の儀礼に際して先導の役を担う存在であることを示唆するという。
同書は、役人風の衣服を身につけて腰帯に儀剣を差し、璧を下げるなどの点は、単なる一兵卒ではなく相応の身分であることを示すという。
御者の内側の服の裾は赤い彩色がよく残っている。
傘蓋の曲面は滑らかでしかも薄い。
御者は帯につけた腰佩に璧を通し、璧に付けた長い紐を上から帯に通している。
銅車馬坑では、御者はほぼそのままの姿で倒れており、車蓋は幾つもに割れて散乱していた。
車蓋の復元作業。
車蓋は見学した時の若いガイド謝苗さんは、数ミクロンの厚さの鋳造ですと言っていた。単位はともかく、こんな薄くて広い面積の曲面を鋳造できるとは、さすが中国だなあと感心したものだった。以来銅車馬といえば、この傘蓋が黄砂で作った型で鋳造されていく様子が目に浮かぶ。中国の青銅器の文様が精密なのは、一つには、型にする黄砂の粒が非常に細かいからだと何かで読んだことがある。
しかし夫は、こんなに薄い物が鋳造できるわけがない。打ち出しで薄くしていったに違いない、鋳造ではなく鍛造だというのだった。
これについてはどこにも書かれていない。それは薄い物は鍛造に決まっているからかな。
車輪は30本のスポーク、いや輻がある。
2号銅車馬(展示品は複製) 始皇帝の御用車
青銅、彩色 総高110.0総長320.0 秦時代(前3世紀) 西安市臨潼区秦始皇帝陵銅車馬出土 秦始皇帝陵博物院蔵
『始皇帝と大兵馬俑展図録』は、4頭立てで屋根つきの輿を引く。御車輿の前面に坐して手綱を繰り、腰には儀剣を差す。輿は前面と両側面に窓があり、後方に扉がある。天井高が低いのは臥せて乗ることを想定しているからである。
一説に、この車輿は古典籍にみる「轀輬車」であるとされる。その名は、窓を閉じれば暖かく、開ければ涼しいことに由来するともいう。また春秋時代の記録には体を横たえて休むことのできる車として、轀車と輬車が個別に登場していることから、後世にこれを合わせてもっぱら葬儀用の車を差す用語となったとみえる。沙丘で崩じた始皇帝の亡骸もまた轀輬車に載せたとの記録がある。
本品は窓や扉が内側からも開閉可能な作りになっているので、遺骸を運ぶためだけの車であるとは断言できない。しかしながら、1号銅車馬に導かれ、かつ背後に始皇帝陵という位置関係は、これが始皇帝の御用車であることを雄弁に物語っているという。
謝苗さんも「おんれいしゃ」と言っていたが、私の頭に浮かんだ文字は「温冷車」だった。
車輿の内外両面は白・青・朱などの多彩な絵具と墨により、龍の一種と思われる動物の文様200個以上を描いているという。
兵馬俑坑でも、本会場と同じく暗い室内に銅車馬は置かれていた。ガラスを通してこれは文様なのか、サビや腐食でそう見えるだけなのかわからなかったが、今回はそれが文様であること、外側にも描かれていることなどを確認した。
後方より。会場ではこの扉が開いて、内部を垣間見ることができた。
2号銅車馬の楕円形の篷蓋
車輿を見ていてもこんな風に前後で幅が違うことに気付かなかった。
2号銅車馬の内外には「龍の一種と思われる動物の文様」が鏤められていたが、各備品に施された文様は幾何学文が多かった。
それについては次回
始皇帝と大兵馬俑展2 青銅器で秦の発展を知る←
→始皇帝と大兵馬俑展4 銅車馬と文様
関連項目
始皇帝と大兵馬俑展1 満を持した展覧会
※参考文献
「始皇帝と大兵馬俑展図録」 2015年 NHK・朝日新聞社
「秦始皇陵兵馬俑」 秦始皇兵馬俑博物館編 1999年 文物出版社
「始皇帝と彩色兵馬俑展図録」 2006年 TBSテレビ・博報堂
「図説中国文明史4 秦漢 雄偉なる文明」 稲畑耕一郎監修 劉煒編著 2005年 創元社