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イシク・クル湖北岸の岩絵3 車輪と騎馬

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青銅器時代の岩絵にスポークのある車輪や馬に乗る人が描かれていることに驚いた。
『Masterpieces of PRIMEVAL ART』でイシク・クル湖の青銅器時代について、
初期青銅器時代は前3500年-2000年、中期青銅器時代は前2000-1600年、後期青銅器時代は前1600-1200年、初期鉄器時代は前1200-450年としている。

車輪と騎馬 動物は新石器時代、車輪は青銅器時代 カラ・オイ
1本の車軸に取り付けられた2つの車輪、しかもスポークがある。
一番後ろには馬に乗る人物も。新石器時代にはまだ騎馬は行われていなかったと記憶しているので、これも青銅器時代のものだろう。

車輪 青銅器時代 チェト・コイ・スー
上の両肢が車輪に描かれたオオツノヒツジは何を意味するのだろう。
下は二輪を綱で繋がれて牽くオオツノヒツジ。車軸は左車輪のスポークの中央から出ているように見えないし、右の綱の弛みはなんだろう。

馬に乗る人物 青銅器時代 チェト・コイ・スーの巨岩の岩絵部分
シカを追う犬か肉食獣の前肢と後肢の間に、小さいが馬に乗る人物が描かれている。

太陽車輪 青銅器時代 鹿狩り 初期鉄器時代 チェト・コイ・スー
車軸に取り付けられた2輪や独立した車輪だけがこんなにたくさん描かれている。何かの願いが込められているのだろうか。
その上に、後の時代にシカを狙う人物と肉食獣が描かれた。新石器時代ともなると、馬上で弓を
射るほどに乗馬の技術があがったようだ。
かなり以前、騎馬が先か戦車が先かという記事を書いたが、現在でも騎馬が先か馬車が先かはわからないが、最初期の馬車あるいは戦車は、2枚の木の板を合わせて円形に整えたもので、スポークはない。

馬車模型 青銅 イラク、テル・アグラブ出土 前3千年紀前半 バグダード、イラク博物館蔵
四頭立ての二輪で、車軸の上に乗っている。
ウルのスタンダードより戦車図 イラク、ウル王墓出土 ウル第1王朝時代(前2500年頃) 大英博蔵
四頭立ての四輪で、後方に乗っている。車輪は2枚の板を継いで作っている。


トルクメニスタンのマルグシュ遺跡から出土した青銅製車輪の箍(前3-2千年紀)は、復元展示されているものを見ると、やはり木の板を継いで車輪にして、その外側を青銅の箍で補強している。

ギリシア、ミケーネの円形墓域A(前16世紀)出土の墓標には、二輪の戦車に乗る人物が敵を長槍で襲っている。戦車の車輪には4本のスポークがある。

テヘランのイラン国立考古博物館では、チョガ・ザンビル出土の青銅製箍のある車輪(復元品、前2千年紀)が展示されていた。  
光が反射して分かりにくいが、箍だけでなく、軸受の表面に青銅製の補強板を付けた12本のスポークのある車輪だった。
裏側からも見られるようにガラスになっているので、後ろの人たちが邪魔だなあと思いながら撮影したが、車輪の大きさが分かて良かったかも。
この大きさ、スポークが12本もあることから、戦車ではなく、かなりたくさんの荷物や人を遠くへ運ぶための荷車、つまり遊牧民に欠かせない乗り物の車輪だったのでは。

同考古博物館には、コブ牛の足が車輪になった土器がある。顔のところが削られていて、リュトンとして作られたもの。コブ牛の土器は前1千年紀前半、カスピ海南部のギーラーン地方で制作された。
イシク・クル湖北岸の岩絵の肢が車輪になったオオツノヒツジは青銅器時代なので、この土器よりも古い。

では、スポークのある車輪はいつ頃できたのだろう。『古代オリエント事典』は、車輪をもつ荷車がメソポタミアから急速に各地に伝播していったことが、前3千年紀初期の東ヨーロッパのテラコッタ製模型や荷車状容器などから明らかである。エジプトでは物資を運搬する荷車の本格的利用は、新王国時代以降のことでありヒクソスによってもたらされたとされる。第18王朝の初期に導入された2頭立ての馬が牽引する2輪のチャリオットとよばれる軽量の馬車(戦車)は、瞬く間に普及し、エジプトの軍事遠征でも盛んに利用された。チャリオットの車輪は、軽量化を図るために4本または6本のスポークをもつ構造となり、2頭の馬をつなぐための長い棒が車軸に取り付けられたという。
戦車の説明では、前2000年頃に輻が発明され軽量で大径の車輪ができ、またおそらく車体が幅広となったと考えられるという。前2千年紀前半に馬牽引(衡は部品を追加して牛に適した形から馬向きに改良され、金属製衡を使用、一部ラバ・ケッティも使用)が始まり、輻式二輪で戦闘狩猟用として特化した馬車が古代戦車として完成した形である。
戦車以前から車輌には社会的地位を示す機能があった。戦車の発明・伝播・使用法については不明な点が多く、再検討することが必要という。
輻は「や」とふりがながふってあるが、「ふく」とも読み、スポークのこと。

スポークのある車輪は前2000年頃に発明されたのなら、イシク・クル湖北岸にも中期青銅器時代(前2000-1600年)に伝播していただろう。
戦車はともかく、荷車のような物をのせる箱や台は描かれていないのは不思議。


イシク・クル湖北岸の岩絵2 サカ・烏孫期のオオツノヒツジは新石器時代のものが手本?
               →イシク・クル湖北岸の岩絵4 ラクダは初期鉄器時代にやってきた

関連項目
イシク・クル湖北岸の岩絵1 シカの角が樹木冠に?

※参考文献
「Masterpieces of PRIMEVAL ART」 Victor Kadyrov 2014年 Rarity
「世界美術大全集16西アジア」 2000年 小学館
「古代オリエント事典」 日本オリエント学会編 2004年 岩波書店


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