イソワール サントストルモワヌ聖堂 外側の装飾
サントストルモワヌ聖堂は外観フランス・ロマネスク散策のイソワール(以下『ロマネスク散策』)は、816年、ノルマン人の侵略から逃れてきたポワトゥのベネディクト会修道士らが、イソワール近隣のサンティヴォワヌに避難する。彼らはイソワールに新修道院を設立し、この修道院は937年にサンピエールとサントストルモワヌの名の下に聖別され、修道院教会の建設は、940年頃計画される。修道院は繁栄を謳歌し、12世紀に修道...
View Articleイソワール サントストルモワヌ聖堂 内部の柱頭彫刻
サントストルモワヌ聖堂の内陣の柱頭彫刻からフランス・ロマネスク散策のイソワール(以下『ロマネスク散策』)は、ドラマティックな内陣を飾る4つの柱頭彫刻は、キリストの受難と復活がテーマです。これら聖人伝の柱頭彫刻は、ラングドック出身の彫刻士の作品と考えられています。その他の4つの柱頭には、植物モティーフが彫られています。これらの柱頭は宗教戦争時にダメージを受け、以降何度も修復作業が施されていますという。...
View Articleオーヴェルニュの楣石
今回の旅では「オーヴェルニュ地方の楣」と呼ばれる楣石が思わぬところで見かけた。ルピュイの サンクレール礼拝堂 Le Puy La Chapelle Saint-Clair...
View Articleオーヴェルニュの聖母子像
ルピュイのノートルダム司教座聖堂内陣に祀られていたのは小さな黒い聖母子像だった。ラヴォデュのサンタンドレ修道院教会やブリウドのサンジュリアン聖堂、クレルモンフェランのノートルダムデュポール聖堂、サンサテュルナンのノートルダム聖堂には内陣には聖母子像も他の像もなかった。イソワールのサントストルモワヌ聖堂にあるのは、ずっと時代の下がった聖母子像だった。オルシヴァルのノートルダムバジリカ聖堂の聖母子像...
View Article田上惠美子氏が京都にしかわで Wonder Artist of Stones 展
久しぶりに田上氏より届いた案内状を見てびっくり😳とうとう石を刳り抜いて茶碗を創らはったん? それとも石を薄く剥いで、ガラスで接着したとか?...
View Article黒マリアからとりなしの聖母へ
オーヴェルニュのロマネスク様式の時代につくられた聖母子像、そして今でもその正体に諸説ある黒マリアを見てきた。その後聖母子像はどうなるのだろう。『黒マリア』は、民衆が「安らかな死」を与えてくれるように祈っていた黒マリアはまさしく「魂の導き手(プシコポンプ)」であったわけだが、この意味では聖ミカエルは黒マリアの協力者、というよりもむしろその分身であったとさえ言い得るのであり、ここからも両者の強い結び付き...
View Articleトプカプ宮殿ハーレムのムラート三世の間
トプカプ宮殿は、コンスタンティノープルを陥落し、ビザンティン帝国を滅亡させてオスマン帝国の首都をイスタンブール(現地の人はイスタンブルと呼ぶ)に変えたメフメト二世が二番目に建設した宮殿である。当初はハーレム(現地ガイドのアイシャさんはハレームと言っていた)はなかったことが、『イスタンブール歴史散歩』の、メフメットⅡ世が建てた当時の宮殿にはハーレムはなかった。その後の何代かのスルタンたちも妻妾は旧宮殿...
View Articleアトメイダヌ広場で行われた行事
スルタンアフメットジャーミィ(ブルーモスク)近くのアトメイダヌ広場には、3本の柱が立っている。それはローマから東ローマ帝国にかけてヒポドローム(戦車競技場、ベンハーでやっていたような)イスタンブール アトメイダヌ広場 Google Earth より切石積みのオベリスク Örme Dikilitaş...
View Articleマトラークチュの細密画
テレビドラマ『オスマン帝国外伝』では、マトラークチュ・ナスフ Matrakçı Nasuh は当時の出来事の記述をする書記のような役職の人だと思って見ていた。スレイマン大帝が遠征した時も同行していたが、地図などの細密画も描いているとは知らなかった。イスタンブル絵図 『イラン遠征記の挿絵』 1537年頃 紙 長31.7㎝幅44.5㎝...
View Article東京都庭園美術館 A to Z展1
東京都庭園美術館で2024年5月12日まで開催されている「開館40周年記念 旧朝香宮邸を読み解く A to Z」はとても面白い企画だった。久しぶりに訪れ、館内と庭園をゆっくり見てみようと思っていた。門から美術館までも結構な距離がある。朝香宮家が建てたアールデコの建物は外観はシンプル。平面図①正面玄関 ②大広間 3次室 ④小客室 ⑤第一応接室 ⑥大客室 ⑦大食堂 ⑧喫煙室...
View Article東京都庭園美術館 A to Z展2
東京都庭園美術館平面図⑩第一階段 ⑪二階広間 ⑫若宮寝室 ⑬合の間 ⑭若宮居間 ⑮書庫 ⑯書斎 ⑰殿下居間 ⑱殿下寝室 ⑲第一浴室 ⑳妃殿下寝室 ㉑妃殿下居間 ㉒ベランダ ㉓北側ベランダ ㉔姫宮寝室 ㉕姫宮居間 ㉖第二階段 ㉗ウインターガーデン東京都庭園美術館二階三階平面図 東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)リーフレットより10...
View Article東京都庭園美術館 A to Z展3
東京都庭園美術館平面図⑩第一階段 ⑪二階広間 ⑫若宮寝室 ⑬合の間 ⑭若宮居間 ⑮書庫 ⑯書斎 ⑰殿下居間 ⑱殿下寝室 ⑲第一浴室 ⑳妃殿下寝室 ㉑妃殿下居間 ㉒ベランダ ㉓北側ベランダ ㉔姫宮寝室 ㉕姫宮居間 ㉖第二階段 ㉗ウインターガーデン東京都庭園美術館二階三階平面図 東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)リーフレットより19...
View Articleイスラームのステンドグラス1
イスタンブールのモスクを巡ってステンドグラスに驚いた。最初に見たのが、メフメト二世(イスタンブールでの在位1451-81)がギリシア正教の聖堂からモスクに変えたアヤソフィアの後陣、かつモスクの礼拝室としてのミフラーブ上部にあったステンドグラスだった。右側のステンドグラス下部の文字のところには他のモスクでにもあった小さな粒々のガラスが入っている。17世紀初頭に建造されたスルタンアフメットジャーミィ(ブ...
View Articleトプカプ宮殿 龍と鳳凰の壁画
トプカプ宮殿を見学したのは2023年の秋のことだった。その時初めて最奥部にある第4の中庭に足を踏み入れて、バーダット(バクダード)キョシュキュやイフタリエ、そしてレワン(エレバン)キョシュキュなどを見学して、イズニークタイルの最盛期よりは時代が下がるが、とても涼しげな建物や眺めの良いイフタリエなどの雰囲気がとても良く、私のお気に入りの場所となった。ところが、年が明けた1月20日にNHKのBSで「工芸...
View Articleトプカプ宮殿 割礼の間 Sünnet Odası の外壁に麒麟のタイル
➍聖遺物室の二重の柱廊の先に一面がタイルで覆われた➐皇子たちの割礼の間がある。第4庭園平面図 『イスタンブール歴史散歩』より➊レワン・キョシュキュ(レワンは現アルメニアの首都エレヴァン) ➋二重の柱廊 ➌レワン・キョシュキュ前の水槽(池) ➍聖遺物室 ➎バーダット・キョシュキュ(バグダ-ド) ❻イフタリエ(小さな東屋) ➐皇子たちの割礼の間イスタンブール トプカプ宮殿第4庭園平面図...
View Article田上惠美子氏から京都の便り
ガラス作家田上惠美子氏はこのところ京都での個展やグループ展が多い。今回届いたグループ展も京都だった。しかもタイトルが「ギャラリーオーナーが 書き綴った物語をめぐる...
View Articleトプカプ宮殿 バーダット・キョシュキュ Bağdat Köşkü
そして第4の中庭最奥部にあるのが第4庭園平面図 『イスタンブール歴史散歩』より➊レワン・キョシュキュ(レワンは現アルメニアの首都エレヴァン) ➋通廊 ➌レワン・キョシュキュ前の水槽(池) ➍聖遺物室 ➎バーダット・キョシュキュ(バグダ-ド) ❻イフタリエ(小さな東屋) ➐皇子たちの割礼の間イスタンブール トプカプ宮殿第4庭園平面図 イスタンブール歴史散歩よりバーダット・キョシュキュ Bağdat...
View Articleトプカプ宮殿 レワン・キョシュキュ Revan Köşkü にスルタンアフメト一世の玉座
➍聖遺物室の向かいに建てられたレワン・キョシュキュへ。第4庭園平面図 『イスタンブール歴史散歩』より➊レワン・キョシュキュ(レワンは現アルメニアの首都エレヴァン) ➋通廊 ➌レワン・キョシュキュ前の水槽(池) ➍聖遺物室 ➎バーダット・キョシュキュ(バグダ-ド) ❻イフタリエ(小さな東屋) ➐皇子たちの割礼の間イスタンブール トプカプ宮殿第4庭園平面図 イスタンブール歴史散歩よりレワン・キョシュキュ...
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