➊レワン・キョシュキュ(レワンは現アルメニアの首都エレヴァン) ➋二重の柱廊 ➌レワン・キョシュキュ前の水槽(池) ➍聖遺物室 ➎バーダット・キョシュキュ(バグダ-ド) ❻イフタリエ(小さな東屋) ➐皇子たちの割礼の間
入口の右端にあるのは、スレイマン大帝の時代とされる三幅対のようなタイルパネル。
上部のスパンドレル(三角小間)に雲文、緑の帯にはハタイ(蓮の花、蕾、葉のついた花蔓草文様 『トルコの陶芸 チニリキョスクより』)、
当時のチューリップはぽっかりとは開かなかった。現在のものはオランダで改良されたもの。
その両側には左右対称に植物が描かれていて、これこそがシャクルが始めたというサズ様式だと2024年1月20日にNHKのBSで放送された「工芸の森 トプカプ宮殿 植物文様に秘められた物語」(以下「工芸の森」)は解説していた。
そしてその番組の中で学者が、オスマン帝国では幾何学文様が描かれていたが、新たに植物文様というものをもたらしたのはイランから来て宮廷絵師長にまでなったシャクルである。これをサズ様式という。植物文様の中に動物を描くようになったのもシャクルからだという。
「工芸の森」では、太湖石(中国の水中で浸食されて穴があいた特異な形状となった石灰岩)から変化して葦の葉になったという。
また、ヤマンラール水野美奈子氏は太湖石からサズ葉文様への系譜で、シャー・クルは、1514年にオスマン帝国とサファヴィー朝の間に生じたチャルドゥラン戦役の結果、オスマン帝国に連行された捕虜の一人で、すでに画業をイランで修得していた。従ってシャー・クルのサズ葉文様創作に関しては、オスマン帝国に特有な文様創作の傾向だけではなく、イランのティームール朝、白羊朝、サファヴィー朝の文様にも留意する必要があるという。
植物文様に混じって尾の長い鳥が二羽。愉快なのは、サズ(葦の葉)が花の穴をくぐっていること。
そしてその下部にはサズを食べている想像上の動物麒麟が二頭ずつ描かれ、鳥もサズの葉を啄んでいる。右の麒麟の腹部描かれているのは花の蕾?
二頭の麒麟の間の茎が二つに分かれ、左右に柱を捻らせ、茎を伸ばして天辺まで蕾を付けたり、花を咲かせたり、枝分かれしながらどんどんと上に伸びて、最終的には頂部に達する。蔓草文様なのだが、その蔓が弧を描くこともないところが中央アジアのものとの違いだろう。
この三幅対の上のタイルパネル
入口上側のタイル装飾は六角形と三角形の組み合わせ
入口の左壁
その左側の壁
上部の中央パネル
同じ三角形と六角形の組み合わせでも、こんな文様にもできるのだ。
中に入って天井を見上げる。頂部のパネルは建立時にはタイルだったのだろうが、現在はタイルではない。四方は同じ文様のタイル
この建物をつくらせたのはスレイマン大帝(在位1520-66)だが、割礼の間として使われるようになったのは後の時代という。
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参考にしたもの
2024年1月20日にNHKのBSで放送された「工芸の森 トプカプ宮殿 植物文様に秘められた物語」
参考サイト
ヤマンラール水野美奈子氏の太湖石からサズ葉文様への系譜
参考文献
「トルコの陶芸 チニリキョスクより」 イスタンブル考古学博物館 1991年 A TURIZM YAYINLARI