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Channel: 忘れへんうちに Avant d’oublier
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明恵の夢と高山寺展 金泥による装飾の素晴らしさ

朝日新聞社の創設者村山龍平の美術品を所蔵する香雪美術館はかなり以前から神戸の御影にあり、乗り換えなどで時間が掛かるので同じ県に住んでいても行きやすい美術館ではなかった。そして2018年に大阪の中之島の朝日新聞社のビルに新たに中之島香雪美術館が開設されたが、今度は行く機会に恵まれず、一年が経過して、やっと訪問することができた。その展覧会は「明恵の夢と高山寺展」というもので、目玉は朝日新聞社文化財団が修...

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田上惠美子氏の作品展は東京のカラニスで

田上惠美子氏より東京での個展の案内が届いた。田上氏の案内のハガキは別世界を覗く窓のようで嬉しい😊田上氏の2019.4.~5....

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北野天満宮展 束帯天神像は忿怒相

菅原道真は日本では初めて神格化された人物である。『日本の美術479』は、奈良時代末に始まるとされる神像が、その神性を表現するのに人間の姿を借りたのは仏像の影響といわれるけれど、八幡神をはじめ祖先神・地域神などどれも特定の人物をあらわすことはなかった。神のあるべき姿としてのきまりごとはあったにせよ、具体的に誰それを髣髴させるのでなく、個々の具象を捨てた抽象的なものでよかったのである。そのような初期神像...

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神像を遡る

せっかくなので、神像について古いものを探すと、八幡三神坐像 平安時代...

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明恵の夢と高山寺展 善財童子は善知識を訪れる

明恵の夢と高山寺展では、これまで見たことがないか、見ても気に留めなかった仏画を興味深かく鑑賞した。春和夜神像 鎌倉時代(13世紀) 縦61.0横28.0㎝ 絹本着色...

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岡山天満屋のご案内に田上惠美子氏の個展

岡山天満屋より大きな封書で届いた「画廊アートスペースのご案内」には、2019年6月の4つの個展が掲載されている。6月の最初が田上惠美子氏の 「ガラスジュエリー 田上惠美子特集 ~すきとおるいのち~」展で、5日-11日!...

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文殊菩薩と善財童子

釈迦三尊像 飛鳥時代・推古31年(623)...

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安倍文殊院 渡海文殊群像

奈良桜井市で歩いた順番からいうと最後に行った安倍文殊院だが、記事としては最初になる。現在の安倍文殊院の南西の方向に、古い安倍寺跡が史跡公園になって残っている。南東より桜井市教育委員会作成の説明パネルは、この地域一帯は、阿部氏一族の本拠地であったといわれ、氏寺である安倍寺(崇敬寺)の建立は山田寺の創建時代(641-85年)とほぼ同じ頃で「東大寺要録」では阿部倉梯麻呂の建立であると伝えています。ほぼ伽藍...

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聖林寺 十一面観音像

聖林寺は桜井駅と談山神社の間に位置している。『大和路秀麗』は、聖林寺は多武峰に向かう山の中腹にあるという。大きな看板の矢印の方向を見ると、木々の間から石垣が見え隠れ。近年はお城の石垣を見てきたので、土塀よりも石垣に迎えられると嬉しくなる。手前の石塀の中は墓地。この石垣はいつごろのもの?楔跡の並んだものもあるけれど・・・ここまで来て、山門が見え、やっとお寺に見えてきた。石垣の下には石仏が並んでいる。坂...

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兜塚古墳とメスリ山古墳

桜井市には最古の前方後円墳とされる箸墓古墳、邪馬台国の候補地纒向遺跡、膨大な銅鏡が出土した黒塚古墳、そして唯一発掘現場を見学した桜井茶臼山古墳の他にも古墳はたくさんある。聖林寺を拝観後、安倍文殊院に向かう。談山神社行きのバス道ではなく、その手前の道を行くと寺川の橋の手前に石仏や仏塔が並んでいた。この辺りの石仏にはそれぞれ赤い前垂れがかけられて、今でも大切に世話をされている様子。寺川は聖林寺橋を過ぎる...

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安倍文殊院 西古墳と東古墳

安倍文殊院の境内には2基の古墳がある(同院リーフレットより)。一つは本堂と文殊池の間にある西古墳、もう一つは境内東の端、山の際にある東古墳だ。西古墳は本堂を出たところからは側面が見える小さな円墳で、墳丘の一部が階段にされてしまって痛々しい。同院リーフレットは、西暦645年頃に築造され、古墳内部の石材は築造当時のまま現在まで保存されておりますという。645年といえば皇極4年、乙巳の変(私の年代では大化...

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長持形石棺から家形石棺へ

桜井市兜塚古墳(5世紀後半-6世紀初)は前方後円墳で、後円部に石棺が露出していた。蓋が家の屋根のような形をしていて、蓋長側辺に左右一対ずつ、痕跡からみて短側辺に一つずつの繩掛突起があったようだ。身は刳貫式で浅い。山本ジェームズ氏の畿内家形石棺にみる棺蓋短側辺突起の変化は、畿内家形石棺の棺蓋突起の起源に関しては、多くは古墳時代中期に盛行した長持形石棺に求める見解が一般的であったという。長持形石棺...

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意外とある長持形石棺

長持形石棺を検索してみると、意外に各地の古墳にあることがわかった。畿内の石棺の多くに使用された竜山石が産出された竜山石採石遺跡(兵庫県高砂市)から西方にある姫路市の壇場山古墳では長持形石棺が露出していることを知ったので出かけてきた。この絵地図の壇場山古墳は前方後円の向きが反対ですがな👀蛇足ですが、この地図で右下の「火山」に、こんなところに火山があるとはと、帰宅後調べてみると、「ひのやま」という名称で...

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一遍聖絵と時宗の名宝展 一遍聖絵巻1-4

一遍聖絵を見ようと京博へ。バス乗り場から眺めた京都駅。昔は市電やバスの乗り場の向こうの駅舎は二階建ての建物だったのに、いつの間にかこれが見慣れた風景となってしまった。七条大橋から上流。四条通りからやや西に流れを変えた鴨川は、この当りは幅が広い。その東を走っていた京阪電車もいつの間にか地下を通り、その上は広い川端通りとなっている。バスのアナウンスでは七条を「ななじょう」と言うようになった。七条通りは「...

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一遍聖絵と時宗の名宝展 一遍聖絵巻5-8

『一遍聖絵展図録』は、一遍は、その生涯の大半を諸国の遊行に費やし、神社仏閣を参詣し、貴賎の間に念仏を勧進し、賦算を行い、道俗とともに踊り念仏をするなど布教に努めた。『聖絵』12巻は、国宝清浄光寺本(歓喜光寺旧蔵、第7巻は東京国立博物館蔵)の第12巻末の奥書によって、正安元年(1299)一遍の十回忌に当り報恩謝徳のために制作されたもので、一遍の門弟で弟とされる歓喜光寺の開山となる聖戒(1261-132...

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一遍聖絵と時宗の名宝展 一遍聖絵巻9-12

『一遍聖絵展図録』は、一遍は、その生涯の大半を諸国の遊行に費やし、神社仏閣を参詣し、貴賎の間に念仏を勧進し、賦算を行い、道俗とともに踊り念仏をするなど布教に努めた。『聖絵』12巻は、国宝清浄光寺本(歓喜光寺旧蔵、第7巻は東京国立博物館蔵)の第12巻末の奥書によって、正安元年(1299)一遍の十回忌に当り報恩謝徳のために制作されたもので、一遍の門弟で弟とされる歓喜光寺の開山となる聖戒(1261-132...

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一遍聖絵と時宗の名宝展 二河白道図

「一遍聖絵」巻1では、信濃国で、善光寺に参詣...

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一遍聖絵と時宗の名宝展 十二光筥の格狭間

同展では遊行に持参する道具類も展示されていて、その中でも十二光筥というものが気になった。十二光筥 鎌倉時代(13-14世紀)高37.9奥27.3幅39.4㎝ 木製漆箔 愛知...

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格狭間の起源は刳り形のある四脚座?

仏像で格狭間のある台にのっているものをみると、阿弥陀三尊および僧形像 飛鳥時代・7世紀 縦39.0横32.3㎝ 銅板製鎚起鍍金...

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三十三間堂 堂内

三十三間堂について『三十三間堂の佛たち』は、後白河上皇により、長寛2年(1164)に創建された千手観音を本尊とする千体観音堂です。後白河上皇は、応保元年(1161)、この地一帯に設けた法住寺殿を院御所とし、その郭内にこの蓮華王院三十三間堂を創建したのです。しかし、、当初のお堂は建長元年(1249)に焼失し、やがて文永3年(1266)にその本堂が旧規模で再建されました。お堂は東向きで、南北が118m(...

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