コンク、サントフォワ聖堂 サントフォワ像
コンクはサントフォワ修道院聖堂がルピュイからサンティアゴデコンポステラへの巡礼路の途中にあり、往時は巡礼者たちの往来で栄えた町だった。『中世の街角で』は、聖女フォワは303年、コンクから150㎞ほど西南のアジャンで殉教した。若いキリスト者である。その聖遺物がほしいものと、9世紀にコンクの一修道士が巡礼としてアジャンに赴いた。そして10年の間同市に住みつき、土地の人びとの信用を得て、ついに聖遺物守護の...
View Articleコンク、サントフォワ修道院聖堂のステンドグラス
サントフォワ修道院聖堂のステンドグラスは20世紀末につくられた新しいものだが、ロマネスク期の建物によく調和している。後陣に日が当たる朝。建物は窓枠や付け柱の他は石をモルタルで積み重ね、表面を化粧石板で覆っていた。それがわかるのは、石板が部分的に残っているのが見えるから。その窓に嵌め込まれたステンドグラスは、2-4本の仕切りと細く切ったガラスを繋ぐ鉛の線、そしてガラスの淡い色という無機質な色彩だが、そ...
View Article田上惠美子氏2019年初の硝子展はきのわで
年明けに届いた田上惠美子氏の個展の案内は、奈良のきのわさんでの「すきとおるいのち展」。しかも嬉しいことに料金別納便なので、切手のところにも蜻蛉玉の写真がある。ほんのり赤みがかったガラスの表面に梅鉢文と、まさに時候にふさわしい。そして、昨年の京都のにしかわ画廊で漆芸の箱との組み合わせでも使われていたアメーバ状に垂れ下がる物体。岡山の栂画廊ではアクリルの立方体と組み合わせて、幾つかまとまって展示されてい...
View Articleコンク、サントフォワ修道院聖堂 中庭に残る彫刻
『Conques』は、どの修道院にも設置された中庭は、すべての面で修道院生活の中心となる。修道士は1日に10回は通る。中庭の周りには教会、修道士の大寝室、食堂そして巡礼者用の宿舎がある。コンクでは、4つのロマネスク期の回廊のうち、時代の波と襲撃に持ちこたえたのは一つだけである。現在見られるものは、西回廊と、東回廊の一部である。中庭は26X28mという。修道院の復元図は買った本にはなく、午後のトリビュ...
View Articleきのわの硝子展 田上惠美子氏のマイブームその1
奈良の学園前にある大和文華館で見た後、きのわさんに立ち寄ると、雨にもかかわらずきのわさんは賑わっていた。雨で暗いのに、ショーウィンドウのガラスには背景が反射して全体を写せない。あっ、京都の画廊にしかわで初めて見た角を飾る流れるような作品が、岡山のギャラリー栂でも幾つか並んでいたが、それがこの硝子展ではショーウィンドウを飾っている。この3つすべてにピント合わせるのは難しい。手前が蓮弁状のもの。左奥は全...
View Articleきのわの硝子展 田上惠美子氏のマイブームその2
田上惠美子氏は「蜻蛉玉源氏物語」で伝統工芸近畿展で入賞を果たされた。その54の玉は左の棚のずっと下、屈んで見なければ見られないようなところに🤢でも、それぞれが帯留や羽織紐、首飾りなどになって展示されているのだった😍帯留四十五帖 橋姫 八の宮の姫君達は御簾を巻き上げて月を眺め、語りつつ合奏をしている五十四帖 夢浮橋十六帖 関屋...
View Articleコンク、サントフォワ修道院聖堂 トリビューンの柱頭
『LES CHAPITEAUX DE CONQUES』は、円柱上にのり、アーケードやヴォールトを支える柱頭は、彫刻師が自由に創造性を発揮できる自由な空間であった。ジャンクロード・フォー(Jean-Claude Fau)は、大きく4つの時代に分けている。1041-65年 オドリック修道院長期...
View Articleコンク、サントフォワ修道院聖堂 身廊と内陣
『LES CHAPITEAUX DE CONQUES』は、円柱上にのり、アーケードやヴォールトを支える柱頭は、彫刻師が自由に創造性を発揮できる自由な空間であった。ジャンクロード・フォー(Jean-Claude Fau)は、大きく4つの時代に分けている。1041-65年 オドリック修道院長期...
View Articleコンク、サントフォワ修道院聖堂の柱頭を時代順に
サントフォワ修道院聖堂の柱頭について『LES CHAPITEAUX DE CONQUES』は、ジャンクロード・フォー(Jean-Claude Fau)は、大きく4つの時代に分けているというので、今回はそれに従って並べてみた。平面図○数字は西北側からの柱間を示すⅠ期 1041-65年 最初期の柱頭群...
View Article天空のコルド ゴシック期の世俗建築
天空のコルド(コルドシュルシエル)ではゴシック様式の聖堂内には入れなかったが、ゴシック期の世俗建築に面白い装飾があった。『Patrimoine culturel...
View Articleアルビ ベルビー館の舗床モザイクは象嵌タイル
サントセシル司教座聖堂に隣接するベルビー館は、現在ロートレック美術館と呼んだ方が有名だが、元は司教館(茶色い部分、13世紀後半)だった。『Albi』は、トゥールーズ・ロートレック美術館の修復で、建物の歴史を明確にし、使用されずに傷んでいた空間を再利用することとなった。そして、主塔(Donjon)またはマギの塔の基礎にある大きな部屋には、当初は13世紀の施釉タイルが敷かれていた。縁取りに動物寓話や紋章...
View Articleアルビ あなたの知らないサントセシル
アルビのサントセシル司教座聖堂は40mもの高さがあるので、後陣側から眺めただけでは78mの高さの鐘楼はほとんど見えない。『中世の街角で』は、アルビは、12、13世紀の南フランスに広まったキリスト教の異端、マニ教の流れを汲むカタリ派(アルビジョワ派)の、中心地として名高い。しかしカタリ派は、ローマ法王インノケンティウス3世の呼びかけに応じて来たフランス諸侯の「アルビジョワ十字軍」により、13世紀を通じ...
View Articleアルビ サンサルヴィ教会の柱頭とモディヨン
アルビには、サントセシル司教座聖堂(カテドラル)の少し東に、アルビ最古の教会堂、サンサルヴィ参事会教会がある。商業地区にあり、店舗が教会に密接しているため、その全貌を望むことはできない。鐘楼について『SAINT-SALVI』は、初めにロマネスク期に石灰岩で、三方が正半円アーチの開口部のある正方形ポーチの上に塔が建立され、二連の装飾アーケードがあるだけで、狭間のある簡素なものだった。最上階は14世紀に...
View Article東洋陶磁美術館 オブジェクト・ポートレイト展は楽しかった1
いつものようにすでに終了している展覧会のまとめだが、大阪市立東洋陶磁美術館の「オブジェクト・ポートレイト展」(2018.12.8-2019.2.11)は、当館の所蔵の陶磁器と、それを写したエリック・ゼッタクイスト(Eric...
View Article東洋陶磁美術館 オブジェクト・ポートレイト展は楽しかった2
館内図(同館リーフレットより)I室はいつもの出入口が閉じられているので、ロビー1に回り込むと、H室入口両側に2枚の写真。左は国宝の飛青磁だと想像できる。もう一点はこちらのG室前の壁。これはニュウに打ち込んだ鎹の部分だ。I室にも中国陶磁器がケースに並んでいた。名品が並んでいたが、エリック・ゼッタクイスト氏が撮影した作品はなく、あれこれ撮影しながら次の部屋へ。H室に入ると、左端には国宝の油滴天目茶碗が。...
View Article青田風のたよりは田上惠美子氏の蜻蛉玉展
コアガラス作家(蜻蛉玉ばかりではないので)の田上惠美子氏から届いた案内は青田風という山形県での個展だった。大阪を拠点とされながら、日本でもかなり遠方で開催される個展には驚かなくなったが、今回はギャラリーの名称「青田風」に、広々とした田んぼが広がるところに、風が吹いて稲の葉が波のように揺れていく様子が脳裏に浮かんだ。なんと清々しい名前のギャラリー。田上氏のFacebookを見て、それが真鶴のギャラリー...
View Article東洋陶磁美術館 オブジェクト・ポートレイト展は楽しかった3
館内図(同館リーフレットより)D室から階段を降りて日本の陶磁器のE室へ。入口から3点のゼッタクイスト氏の写真が見えている。写真だけ見ると、壺が並んでいるのかと思った須恵器蹄脚円面硯 奈良時代・8世紀 高10.6径28.5㎝...
View Article古いものを倣う
唐三彩が後の遊牧民の国家遼や金、元の時代にも受け継がれていったことは以前にまとめたことがある。それについてはこちらまた、本来は皮袋だったものを金属器や陶器で制作したりもされてきた。皮袋型銀鍍金鶏冠壺 遼時代 高26.5㎝ 内モンゴル自治区赤峰市城子山出土...
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