田上惠美子氏のすきとおるいのち展
2017年11月4日から11日まで、奈良、学園前のきのわさんで田上惠美子氏のガラス展~すきとおるいのち~が開かれるということで、案内状は戴いていてた。日程の都合をつけたり、安売りチケットを買いに行ったりと準備はしていたが、何か忘れていると思っていたら、せっかくの美しい葉書を記事にしていなかったのだった。それにしても、これだけ次々と「すきとおるいのち」を生み続けられるものだ。そして、その作品に負けない...
View Articleきのわさんに田上惠美子氏の蜻蛉玉展を見に
ギャラリーきのわは近鉄の学園前駅の近くにある。阪神電鉄に近鉄が乗り入れるようになって行きやすくなった。入口左のショーウィンドウ。ネックレスのチェーンの種類も豊富になって、トンボ玉の配置のヴァリエーションが次々と。 そして下にはコアガラスの作品も。心地よい夢のようなガラスの色に截金が淡~く溶け込んでいる。中にはネックレスだけでなく、ワインの替え栓 カッコええなあ~彩り豊かなキャンディを詰めた箱のよう...
View Articleターキ・ブスタン大洞に見られるシームルグ文
実は、ターキ・ブスタン大洞には、シームルグ文の浮彫があることは知っていたので、それがどこにあるのかをこの目で確かめたかったが、叶わなかった。シームルグ文 イラン、ターケ・ボスターン大洞内奧浮彫 7世紀前半『古代イラン世界2』は、今 日、イランの地でサーサーン朝ペルシア錦(324-641)とされるものの出土例は知られていない。それを具体的に知りうるのが有名なターケ・ボスターン...
View Articleタフテ・スレイマーンのタイル
タフテ・スレイマーンには8点星や十字形のタイルを組み合わせた床があり、現在ではタイルは失われて圧痕が残っているということを『砂漠にもえたつ色彩展図録』で知った。だから、この遺跡で一番見たいものがこの圧痕だった。同展図録で枡屋友子氏は、1270年代にイルハン朝第2代君主アバカによってイランのアゼルバイジャン山中に建設された宮殿タフテ・ソレイマーン(ペルシア語で「ソロモンの玉座」を意味するが、後世につけ...
View Articleアルメニア博物館のラスター彩はタフテ・スレイマーンの後
イスファハーンのザーヤンデ川の南方、ジョルファ地区はアルメニア人の居住区になっていて、ヴァーンク教会と同じ敷地内にあるアルメニア博物館を見学した。そこで見つけたのがこのタイル。ラスター彩やラージュヴァルディーナが鏤められている。アルメニア人はサファヴィー朝のアッバース1世(在位1588-1629年)がイスファハーンに呼び寄せたので、このタイル装飾の方がずっと古い。説明には12世紀とあるが、ラージュヴ...
View Articleオルジェイトゥ廟のタイル装飾を受け継いだ廟
イルハーン朝の1313年に完成したという、スルタニーエのオルジェイトゥ廟について『ペルシア建築』は、内部の壁面は、当初、明るい黄金色を帯びた煉瓦で仕上げられ、部分的に小さな淡青色のファイアンス・タイルを嵌め込む方法で、角ばったクーフィー書体の大インスクリプションが表されていた。しかし1313年、この内装は変更され、プラスターを用いて再装飾されたという。その上地震もあって、タイル装飾はあまり残っていな...
View Articleオルジェィトゥ廟の漆喰装飾1 浅浮彫とフレスコ画
スルタニーエのオルジェイトゥ廟は青いドームと入口上にタイル装飾があった。平面図(○数字はアーチやイーワーンの位置を示す)ところが、入口を入って見上げたイーワーンにはタイルではなく、一面漆喰の装飾だった。『ペルシア建築』は、内部の壁面は、当初、明るい黄金色を帯びた煉瓦で仕上げられ、部分的に小さな淡青色のファイアンス・タイルを嵌め込む方法で、角ばったクーフィー書体の大インスクリプションが表されていた。し...
View Articleオルジェィトゥ廟の漆喰装飾2 埋め木
スルタニーエのオルジェィトゥ廟では、二層目が墓室の大空間に向かって開かれた8つのイーワーンと、イーワーンを繋ぐ天井の低い通路、そして二段の大きなムカルナスドームの小さな部屋という組み合わせの連続だった。イーワーンでは漆喰細工と彩色による装飾が見られ、二段のムカルナスや通路の壁面には、そのイーワーンドームの小部屋の2つと通路の壁面や天井、そして三層目の回廊の壁面や移行部に埋め木という装飾があった。『ペ...
View Articleレンガの組み積み(ハザールバーフ)と埋め木
『ペルシアの伝統技術』は、セルジューク朝時代、10世紀から12世紀にかけて装飾的な要素の強い建築技法がイランで盛んに用いられるようになり、それ以後のイラン建築の特徴となった。この技法、つまりイランでハザールバーフ(hazārbāf、「千の交織の意)として知られる装飾的な煉瓦積みは、すでに8世紀にはイラクで出現していた。この新しい建築技法は、さまざまな煉瓦の組み積みが用いられるようになったのを機に始ま...
View Articleオルジェイトゥ廟の漆喰装飾3 華麗なるドーミカル・ヴォールト
三層目は華麗な漆喰装飾の回廊だった。『ペルシアの伝統技術』は、漆喰の継ぎ材が用いられるようになったが、豊かな装飾が好まれたため、これらの漆喰の継ぎ材にも浮き彫りが施されるようになった。その後、煉瓦と煉瓦の間に浮き彫りを施した埋め木が嵌め込まれるようになった。最終的には豊かな浮き彫りが全面に施された漆喰の壁が用いられるようになった。この技法はソルターニエのウルジャーイトゥー廟のドームやヴォールトの建築...
View Articleマスジェデ・キャブードのタイル装飾
タブリーズのマスジェデ・キャブードは青いタイル装飾によってブルーモスクとも呼ばれている。『GANJNAMEH6』は、唯一の紀年銘は玄関の東支柱にあり、870(西暦1465)年を示す。テュルク系黒羊朝のカラ・ユースフの息子であるジャハンシャーの建立とされる。ジャハンシャーの妻ジャン・ベイゴム・ハトゥンあるいは娘のサレヘ・ハトゥンの発願によると言われている。例外的に町外れに建立されたモスクで、ファサード...
View Article蔓草文様のモザイクタイル
タブリーズのマスジェデ・キャブード(ブルーモスク)には細かな植物文様のモザイクタイルの壁面装飾があった。これはティムール朝から受け継いだ技術で、ひょっとするとサファヴィー朝のモスクへと受け継がれたものではないかと思われる。植物文様のモザイクタイルについて『砂漠にもえたつ色彩展図録』で深見奈緒子氏は、シャーヒ・ズィンダーにイランで熟成した植物文のモザイクタイルが出現するのは1372年建立のシーリーン・...
View Articleペルシアの彩画陶器は人物文も面白い
ラスター彩陶器には人物文が描かれるものがあり、タブリーズのアゼルバイジャン博物館でも展示されていた。それについてはこちらイスラームは動物や人物を表すことが禁じられているのにもかかわらず、人物が描かれるのは、東方からやってきたセルジューク朝のテュルク系の人々の嗜好だと思っていたが、それ以前、深目高鼻の人たちも人物文を描いている。『タイルの美Ⅱイスラーム編』は、預言者ムハンマドが、神から受けた啓示をまと...
View Article聖タデウス教会 の浮彫装飾
マークー郊外にある聖タデウス教会は、現地の説明文によると、黒の教会と呼ばれる古い教会が1329年に再建され、新しい教会は19世紀前半、ガージャール朝の王子アッバース・ミルザによって増築され、アルメニアのエチミアジン大聖堂よりその外壁の石彫が贈られたという。上の段には聖人あるいは聖職者の立像が並ぶ。正面向きで、襞は規則正しく並び、曲線的なZ状の衣端となる。この像は後補らしく、右肩や左腕の襞の表現が一筆...
View Articleアルダビールのシェイフ・サフィー・ユッディーン廟 モザイクタイル
ユネスコの世界遺産の記事によると、イスラーム神秘主義スフィーの隠遁所として、16世紀初めから18世紀末に、イランの伝統的なイスラーム建築様式を用いて建設された。という。A:シェイフ・サフィー・ユッディーン廟 B:シャー・イスマイール1世廟 C:ムヒイー・アルドン・モハンマド廟 D:シャフニシン(アルコーヴの並ぶ部屋) E:アル・フファズの家(カンディル・ハナ) F:チニ・ハナ(ハネガー)...
View Articleアルダビールのシェイフ・サフィー・ユッディーン廟 中国磁器のコレクション
シェイフ・サフィー・ユッディーン廟に繋がった形で、チニ・ハネという大きな建物が建立され、内部は大小それぞれ4つのイーワーンがイスファハーンのアリー・カプー宮殿の楽器の間のように、陶磁器の形を刳り貫いた漆喰装飾のムカルナスとなっていた。現在アルダビール・コレクションと呼ばれている中国の磁器は、ムカルナスの下に並んだガラスケースに展示されている。アルダビール・コレクションは総て17世紀とされているが、あ...
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