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Channel: 忘れへんうちに Avant d’oublier
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元明の青花(染付)

イランのアルダビールに所在するシェイフ・サフィー・ユッディーン廟ではアルダビール・コレクションと呼ばれる中国磁器が所蔵展示されている。アルダビールは、サファヴィー朝発祥の地であるが、それよりも以前の元時代(14世紀)の染付もそのコレクションに入っていた。おそらくサファヴィー教団が所蔵していたものだろう。『元の染付展図録』は、白磁胎で形を作った後、酸化コバルトを顔料として筆を用いて絵付けをし、透明釉を...

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ギーラーン1 コブウシ

『ギーラーン緑なすもう一つのイラン』(以下『ギーラーン』)は、ペルシア語で「白い川」を意味するセフィードルード川は、ギズィルウズン川(赤く長い川)とシャーフルード川(王の川)の水を集め、ギーラーンに豊かな恵みをもたらしながら、カスピ海に注ぐ。同時に、この川の渓谷は、イラン高原とカスピ海を繋ぐ回廊、つまり、ギーラーン(ギール人の地)への入口となっているという。Google...

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ギーラーン2 土偶と金製品、装身具

殊に思い入れのあるギーラーンでの出土品は円形切子碗だ。(写真はタブリーズのアゼルバイジャン博物館にて)『ギーラーン』は、故深井晋司先生が1959年ノウルーズの頃テヘラーンに滞在中、とある骨董屋の店に置かれていた正倉院の円形切子装飾瑠璃碗とよく似たカットグラス碗を見付けたことがきっかけとなっている。当時テヘラーンの骨董屋の間にアムラシュ出土と称されるおびただしい古物が流れこみ、興味をもった先生がそれら...

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イラン国立博物館 クロライト製品

クロライトは青銅器時代の前3千年紀頃にその製品が流通していた。『ペルシャ文明展図録』は、『シュメル王名表』の記事によれば、原エラムの首都スーサは、キシュの王によって軍事侵略されたという。ここでスーサが廃墟と化したとするのは早計である。イラン側が支配権を失い、メソポタミアの影響力が強まったかも知れないが、イラン高原全域をカバーするあのネットワークは温存されたと見るべきであろう。事実東方の物資のメソポタ...

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イラン国立博物館 印章

円筒印章はコインと同様に小さいので、限られた時間でじっくり鑑賞することが困難だが、そこに刻まれている文様や場面は興味深い。『オリエントの印章』は、円筒印章は粘土板やその封筒、あるいは壺、容器、扉等を封印する大型の粘土塊を広く印で覆うのに適しているという。円筒印章 前3千年紀 石製 スーサ出土7は複数の人物が登場する何かの場面、10は長い角のある動物を大きく表したものスタンプ印章・円筒印章...

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イラン国立博物館 チョガー・ミシュ(Choga Mish)という遺跡

チョガー・ミシュという遺跡があることをこの博物館で知った。それは原エラム時代から存在した町のようだった。東海大学文学部アジア文明学科の春田晴郎氏の非公式ブログのチョガー・ミーシュ遺跡という記事に遺跡の写真が掲載されており、遺跡の現在の様子を知ることができた。Google...

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イラン国立博物館 彩釉レンガの変遷

彩釉レンガ...

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イラン国立博物館 サーサーン朝のストゥッコ装飾

イラン国立博物館ではサーサーン朝の浮彫ストゥッコが多く展示されていた。壁面装飾 ストゥッコ ダムガーン、テペ・ヒッサール出土八角形と小さな正方形との組み合わせの区画の中に植物文様が浮彫されている。やや曲面の壁面を飾っていたらしい。壁面装飾板 ストゥッコ...

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イランガラス陶器博物館でラスター彩の制作年代を遡ると

ガラス陶器博物館2階にはラージュヴァルディーナと名付けられた展示室が2つあって、どちらにもラスター彩陶器が多数置かれていた。『砂漠にもえたつ色彩展図録』は、ラスター彩陶器は、白色不透明釉の上に酸化銀または酸化銅を含む絵具で着彩したもので、上絵付のための2度目の焼成には酸素を著しく減少させた特別な環境を作り出す窯が用いられ、酸化金属を還元させることによって焼き上がった図柄が金属的な輝きを示す陶器である...

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初期のラスター彩陶器はアッバース朝とファーティマ朝

イランでラスター彩陶器の生産が始まるのは12世紀後半という(『砂漠にもえたつ色彩展図録』より)が、イランからはそれ以前のラスター彩陶器が出土している。『世界美術大全集東洋編17』は、ラスター彩陶器は、9世紀頃からイラクやエジプトで制作され始めた。鉛釉に酸化錫を加えて造られた錫白釉の技法が確立したことによって、ラスター彩の技法も発展した。ラスター彩は、白釉陶器の上に、銀や銅の酸化物あるいは硫化物で絵付...

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ファーティマ朝のラスター彩陶器

初期ラスター彩をまとめ終えて、イランやイスラーム美術関連の書物を本棚に戻していた時、黒い背表紙の『Schätze der Kalifen Islamische Kunst zur Fatimidenzeit』という図録に気付いた。両親がウイーン美術史美術館で見つけて買ってきてくれたもので、当時イスラーム美術に惹かれていた私にはありがたいものだったが、タイトルが『カリフの宝物...

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ラスター・ステイン装飾ガラス

ラスター彩の起源はガラスだった。『世界史リブレット76イスラームの美術工芸』は、後期ローマ・ガラスとサーサーン・ガラスの伝統を引き継いだイスラーム・ガラスであるが、8世紀後半ころから新しい発展が始まった。その最初を飾るのが、ラスター・ステイン装飾ガラスである。イスラーム・ガラスのなかでも一際目を引くラスター装飾は、陶器に先駆けてガラスにほどこされた。ラスター彩とは、金属化合物の顔料で彩画した装飾のこ...

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イスラームの粒金細工

タブリーズのバザールを通っていると、粒金細工をしている人がいた。粒金細工は伝統工芸としては伝わっていない技術だと思っていたが、少なくともタブリーズのバザールでは受け継がれているようだ。粒金の作り方について、『THE GOLD OF...

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イランに残るレンガ建築

イランでは多くのレンガ建築を見学した。タブリーズのアゼルバイジャン博物館で『IRAN THE ANCIENT LAND』という巨大な本を見つけた。重くてスーツケースの重量に響くとは思ったが、思い切って買ったのは、そこには今まで知らなかったレンガや石材で造られた建造物が沢山載っているからだった。ただ残念なのは、その建立時期他の詳しい説明がないことだ。水車場? 時代不明...

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アレクサンドロスの向かった道1 スーサからペルセポリス

今回のイランの旅で、スーサからやって来たアレクサンドロスが、ここを通ってペルセポリスへと向かったとイランでは思われている場所が見えるところで写真ストップした。それはシーラーズ山脈からビーシャープールへと向かってザグロス山脈に入り、アボルハヤートという町へ出る前の切り通しのような地点だった。Google...

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麩嘉(ふうか)の春限定さくら麩饅頭

ものすごく久しぶりに和菓子の記事です。麩嘉の錦店の楽しいホームページを見ていて、さくら麩饅頭が限定販売されていることを知った。大阪の東洋陶磁美術館に行ったついでに京阪電車で四条駅までおけいはん。鴨川を渡って、観光客で埋まった四条を西進、寺町通で錦小路へ。錦小路の東側には錦天満宮。狭い錦小路は四条通よりも人で埋まっていた。たまに通ると、それまで見たことのない店舗が目に付くが、今回もまた串に刺したテンプ...

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アレクサンドロスの向かった道2 ペルセポリスから

『図説アレクサンドロス大王』は、ペルセポリスから北東へ直線距離で43㎞の地点に、パサルガダイの都がある。アレクサンドロスはここも接収した。慣例に従って女達一人ひとりに金貨を与えた。またキュロスの墓に大きな感銘を受けた。6年後にインドから帰還して再びここを通過した時、キュロスの墓が荒らされているのを発見し、部下に修理を命じているという。パサルガダエは現在現地ではパサルガードと呼ばれていて、今回のイラン...

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エラム中王国のライオン像

テヘランのイラン国立博物館に展示されていたライオン像(スーサ出土)は、エラム古王国から中王国時代(前2千年紀)のものとされているが、何故か蹲踞する狛犬を想像させる。門前で守護するために本来は一対で置かれていたものかも。でも、側面から見ると狛犬よりも身を立てている。それは前肢が長すぎるからだろう。門前の守護獣といえば、ペルセポリスの万国の門入口の牡牛像や出口の人面有翼牡牛像(前5世紀)、アッシリアはニ...

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獅子から狛犬へ

テヘランのイラン国立博物館にあった一頭のライオン像(エラム古王国から中王国時代、前2千年紀)が日本の狛犬を思わせるのは蹲踞しているからだ。ただし、ライオンの独立像はその後ペルシアの地では確認できない。自分が旅してライオン像は見なかったなあと思いつつ、探してみると、東トルコのネムルート山で出会っていた。ライオン像 コンマゲネ王国時代(前1世紀後半) 石造...

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中国にも11-12世紀の粒金細工

タブリーズのバザールで粒金細工をしている人を見かけたことは、今回の旅行の収穫の一つだった。現代ではよみがえった粒金細工の技法は、古代に絶えてしまったものと思っていたからだった。それをきっかけに久しく手に取ることのなかった、ウイーン美術史美術館で1999年に開催されたカリフの宝物...

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