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Channel: 忘れへんうちに Avant d’oublier
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カラ・テパ遺跡1 洞窟寺院

『ウズベキスタン考古学新発見』は、カラ・テパは古テルメズの北西部に位置している。ファヤズ・テパの南東3㎞にも城壁外の仏教遺跡があったといわれ、今では「ズルマラのストゥーパ」だけが残っている。仏教がインド(ガンダーラ地方)から中国西部へ流伝したルートは、いくつかあった。少なくともインダス川上流からミンタカなどカラコルム山脈の峠を越えてホータンへ出るコース、もう一つはインドから北上してテルメズなどアムダ...

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カラ・テパ遺跡2 出土物

遺跡の出土品はウズベキスタン歴史博物館に展示されている。北丘『ウズベキスタン考古学新発見』は、北丘の屋根の架けられている大ストゥーパについて、このストゥーパの機能したある時期、大ストゥーパ基壇の西側正面は、仏陀、菩薩、供養の男女、象、獅子、ガルーダ、その他のアカンサスを背景にした小彫刻で飾られていたという。ここから出土したものかどうか定かではないが、これに該当すると思われるものをまとめてみると、仏坐...

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托胎霊夢

カラ・テパ遺跡から仏伝図のうちの托胎霊夢の場面を表したと思われる浮彫断片から出土している。「托胎霊夢」浮彫断片 3-4世紀 石...

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浮彫漆喰から施釉タイルへ ウズベキスタン歴史博物館より

イスラーム時代の建築装飾は、伝統的な浮彫漆喰から始まり、耐久性が高く大量生産が可能な素焼き焼成レンガへと移行し、やがて施釉タイルへと変わっていった。その変遷をタシケントのウズベキスタン歴史博物館に展示されていたものから見ていくと、1.浮彫漆喰の建築装飾おそらくミフラーブの頂部などを飾ったもの...

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テペ・シアルクに日干しレンガの初期のもの

カーシャーン郊外の遺跡テペ・シアルクは、各時代の日干レンガの建物の遺丘である。『ペルシア建築』は、ペルシアの建築は、少なくとも紀元前5千年頃から今日まで通算6千年以上に及ぶ連綿たる歴史を持つうえに、その影響のもとで生まれたさまざまな実例をも含めると、西はシリアから東はインドの北部や中国の辺境まで、北はコーカサスの山地から南はザンジバルまで、膨大な地域にひろがっている。建築の基本的な形態は利用できる材...

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ジッグラトがイラン高原の山だったとは

『ペルシア建築』は、古代の中東地域には、山を讃美し崇拝する傾向があまねく存在した。メソポタミア平原の単調な景観を救っていたのは堂々たるジッグラトであるが、これはイラン高原をとりまく山々、馴染み深い聖なる山々の、宗教的な模造品に他ならない。要するに、こうした巨大建築の目覚ましい発展は、それ自体、たとえメソポタミア的なものであったにせよ(ジッグラトはシュメールの地で前2200年頃までに成立した)、その発...

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キュクラデス石偶 古代ギリシャ時空を超えた旅展より 

ギリシアを旅して残念だったのは、キュクラデス石偶をほとんど見られなかったことだ。だからこの特別展には期待して神戸市立博物館へ出掛けた。3階の「エーゲ海の揺籃」のコーナーには、まず男性と女性の土偶があったが、キュクラデス石偶の材料である大理石でつくられた像の方が古かったりした。しかもそれはキュクラデス石偶ではなかった。ほかの出土物に混じって展示されているので、やや混乱気味に見ていったが、ここでははやり...

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イスファハーン、マスジェデ・イマームのタイル

『ペルシア建築』は、装飾文様はすべて伝統的なもので、多産と豊穣に対する祈念をこめたイラン的なモティーフを繰り返す。建物の肌はほとんど余すところなくエナメル・タイル(施文多彩釉タイル)で被覆されている。抽象的で想像的な、かくも厖大な植物文様の展開は、多産豊穣な生命の永続に対する祈念とともに、花に寄せるペルシア人特有の詩的な情熱をも表わすものであろう。17世紀という時代は必ずしもペルシア芸術の最盛期では...

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マスジェデ・シェイフ・ロトフォッラーのタイル

王専用モスクのドームの色は、黄色くもなく、落ち着いた地に蔓草状の文様が、コバルトブルー、トルコブルーと白で表されていた。『ペルシア建築』は、ドームの外側はファイアンスで覆われ、ミルクコーヒー色の地に、暗青色と白色の二色からなる大胆なアラベスク文様を表わすという。この地の色は何だろう。...

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縞大理石をまねる 古代ギリシャ-時空を超えた旅展より

ポンペイでは、壁面装飾の最初期に、色大理石などで飾った壁面を模倣して、漆喰で仕上げるということが行われた(ポンペイの壁画第1様式)が、それ以前では、前3世紀末、ヘレニズム時代にペラでも発見されており、ポンペイ第1様式の起源がギリシアにあったことがわかった(漆喰画の館)。壁画最下部の斜めになった縞文様は、きっとアラバスターだろうと思った。何故なら、「メソポタミア文明展」で見たアラバスターの壺に縞文様が...

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サファヴィー朝のムカルナスは超絶技巧

ムカルナスをモザイクタイルで装飾した早い例は、サマルカンド、シャーヒ・ズィンダ廟群のなかのシリング・ベク・アガ廟(1385-86年)があるが、平面的なものを組み合わせた程度だった。時代を経て、サファヴィー朝期のイスファハーンでは、イマーム広場に現在も残るモスクや宮殿が建立された。マスジェデ・イマーム表門イーワーン...

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泣女 古代ギリシャ-時空を超えた旅展より

いわゆるギリシア文明が興る頃に、幾何学様式という、直線やメアンダー文などで器体を埋め尽くした土器が出現する。そしてその中に、小さな動物や人物が群像として描かれるようになる。アッティカ後期幾何学式アンフォラ 前760年頃  アテネ、ケラメイコス第2あるいは第4号墳墓出土 高さ155㎝...

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マスジェデ・ジャーメの変遷

マスジェデ・ジャーメは、現在では北東方向から南西方向に軸線をおく、チャハル(4)・イーワーン形式の巨大な金曜モスクである。創建から何度も改築を繰り返してきた。それがモスクに入ってすぐの回廊に図解とペルシア語・英語の解説で示されていた。長い文やわかり難いものもあるので、簡単に。Ⅰ...

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マスジェデ・ジャーメ、南東礼拝室のドーミカル・ヴォールト

東入口から入ってすぐに列柱廊に迷い込む。ガイドのレザーさんの後を付いていくのだが、それぞれの小ドーム(ドーミカル・ヴォールト)の構成や焼成レンガが作り出す文様が面白く、ついつい遅れがちになってしまう。とりあえず、写したドーミカル・ヴォールトと思われる箇所を、1931年にEric...

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マスジェデ・ジャーメ 南ドーム室

イスファハーンのマスジェデ・ジャーメにはキブラ方向の南東に大ドームがあるが、ここでは南ドームとする。中庭側からは、イーワーンが大きいために、全貌を見るのは困難だ。ユネスコの世界遺産マスジェデ・ジャーメのページでは、リブを駆使したイスラーム世界初の二重殻ドームという。平面図では東西の礼拝室に繋がる通路が2つずつ、イーワーンからの通路が1つあるように見える。...

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マスジェデ・ジャーメ オルジェイトゥのミフラーブ

イル・ハーン朝のスルタン、オルジェイトゥは、西イーワーンの北側に小さな礼拝室を建てた。そのミフラーブは全面が浮彫漆喰による植物文様やインスクリプションで覆われた繊細な作品である。この図版を掲載している『GANJNAMEH7』は1999年出版のため、結界が木製だが、現在ではガラス。 ミフラーブ 1310年 ストゥッコ イラン、エスファハーン 『世界日大全集東洋編17...

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マスジェデ・ジャーメ 北礼拝室のドーミカル・ヴォールト

北礼拝室は、マスジェデ・ジャーメの説明板によると、北イーワーン左右のセルジューク朝期(12-13世紀)に平天井からドーミカル・ヴォールトに改築された礼拝室と、更に北ドーム室との間にムザッファール朝期(14世紀後半)に新たに建造された北側礼拝室とを含んでいる。しかし、深見奈緒子氏のイスファハーンのゴンバディ・ハーキにみられる装飾文様によると、イル・ハーン朝以来、大モスクの北部に取り込まれてしまったとい...

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マスジェデ・ジャーメ ゴンバデ・ハーキ

マスジェデ・ジャーメの説明板によると、セルジューク朝スルタン、マリク・シャーの宰相ニザム・アル・ムルクが南の大ドームを建造した後、そのライバル、タジ・アル・ムルクが、この北ドームを建立したという。ドームには金箔で文様を表しているのではと思うような装飾があり、16枚の花弁がドームを支えているように見える。ドームの5点星には、それぞれ平行する組紐の線があるために、もっと込み入った幾何学文のように見える。...

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マスジェデ・ジャーメ チャハール・イーワーン

マスジェデ・ジャーメはセルジューク朝後期(12-13世紀)に中庭に4つのイーワーンが設置され、チャハール・イーワーン形式のモスクとなった。 南イーワーンは奥が洞窟のよう。大きなムカルナスが、前面と後方の二重に積み上げられている。外のタイル装飾は後の時代のもの。...

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ミナレットの空色嵌め込みタイル

『イスラーム建築の見かた』は...

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