サーマーン廟2 建築の起源は?
ブハラの西郊にあるサーマーン廟(914-43年)は、まだ施釉タイルのない時代、平たい焼成レンガを積み上げて様々な文様を織りなした美しい建物である。ただ、四隅の付け柱と、ドームの周囲に4つある円柱の頂部のような突起とは、明らかにずれがある。円柱の付け柱と頂部の間にあるアーチ列について『イスラーム建築の世界史』は、水平帯の内側にはドームの周囲を巡る廊が設けられ、八角形周廊墓の周廊が退化した形といえるとい...
View Article浮彫タイルの起源はサーマーン朝?
シャーヒ・ズィンダ廟群の浮彫タイルをみて、その起源を探してカザフのアイーシャ・ビビ廟のものまでを辿った。それについてはこちらアイーシャ・ビビ廟の異形煉瓦 12世紀 カザフスタン、タラス 『イスラーム建築の世界史』は、壁面を覆い尽くす美しい煉瓦積技法に磨きがかかる。...
View Articleサーマーン廟4 平たい焼成レンガを重ねた文様
サーマーン廟には焼成レンガを組み合わせた20数種類の文様があるという。内部では幾つ見つけられるだろう。ドーム頂部からみていくと、1:無地 平レンガの薄い面を持ち送って、凹凸のない、無地の壁面になっている。それも一つとしようドームの下端、円形の最後の部分は、2:菱繋文 上下平レンガと比べると、1辺が小さいが、その平たい側を、対角を縦横にして一列に並べている3:連珠文...
View Articleチャシュマ・アユーブ廟の円錐ドーム
チャシュマ・アユーブ廟には4つのドームがあり、一番奥の円錐ドームが特徴的な焼成レンガだけの建造物である。『シルクロード建築考』は、奥の方に、直径約5mのドラムで支えた例の円錐ドームが見えるという。同書は、一見して二重殻ドー ムと思われる構造の姿が見える。丁度サマルカンドにあるグル・エミル廟の溝条ドームのネックと共通したドラムとの接合テクニックが用いられているようであ...
View Article田上惠美子氏の二人展
田上惠美子氏から二人展の案内が届いた。田上氏は以前から個展だけでなく、二人展をはじめグループ展にも出展しておられて、10月25日までは、以前にお邪魔した天善堂で津田美砂デザイン天然石アクセサリー作品展に、コラボ作品として出品されていたようだ。今年は田上氏の新しい作品を見る機会を逸してしまったなと思っている頃に、新たな二人展の案内を戴いた。二人展といっても、もうお一方は皮革工芸で、今回も異業種?の作家...
View Article白鳳展5 法隆寺金堂天蓋の飛天
法隆寺天蓋には飛天が幾つかのっている。『白鳳展図録』は、釈迦三尊像(中の間安置)及び阿弥陀如来像(西の間安置)の上方に掲げられた天蓋に附属する彫像で、天蓋の荘厳のために取り付けられたものである。飛天は上段吹き返しの南・北面に各3軀、東・西面に各3軀の合わせて24軀が配されていたと思われるが、現状では欠失があるという。2008年の『国宝法隆寺金堂展』では、奈良国立博物館の展示室で、この天蓋を間近で見る...
View Article白鳳展6 法隆寺金堂六観音像
『白鳳展図録』は六観音について、法隆寺において「六観音」と通称される近い像高とよく似た作風を示す6軀の菩薩立像のうちの2軀。ただし6軀がすべて観音像でもなく、この呼称は当初からのものではない。平安~鎌倉時代には計8軀が金堂内に安置されていたようだが、うち2軀は寺外に流出している。文殊・普賢菩薩の名称は、かつて金堂釈迦三尊像の須弥座の脇に安置されていたことによるものだが、これも当初からの尊名とはいえな...
View Article白鳳展7 薬師寺月光菩薩立像
体を三曲する薬師寺月光菩薩立像は、白鳳展の会場では、一体だけ別の部屋に展示されていた。遠い昔、薬師寺で見た時よりもずっと大きく感じた。月光菩薩立像 白鳳時代、7-8世紀 像高315.3㎝ 銅造鍍金...
View Article白鳳展8 當麻寺四天王像は脱活乾漆
當麻寺は、二上山という山号を持つ、文字通り奈良の二上山の東麓に開かれた寺である。以前に訪れた時のことは幾つか記事にし、金堂の四天王像についてもその一つだし、四天王像が踏む邪鬼でも記事にしたことがある。今回の白鳳展では、四天王像のなかで持国天だけが出展されていた。持国天立像 白鳳時代、7世紀 像高218.5㎝ 脱活乾漆造・彩色 四天王像のうち 奈良・當麻寺...
View Article脱活乾漆は古墳の夾紵棺に
第67回正倉院で伎楽面3点が出陳されていて、その中の一つに脱活乾漆のものがあった。見学した時は、重そうな木造の面の後にあったので、乾漆なら軽かっただろう程度にしか思わなかったが、後日図録(正倉院展では目録)の解説を読んでいて驚いた。展覧会の図録というものは買っておくべきものであるし、そのまま積ん読しないで、解説文を読んでみるものだなあ。伎楽面 師子児もしくは太孤児 縦24.7横18.4奥行21.9㎝...
View Article夾紵の初めはやっぱり中国
日本でいう乾漆は、中国では夾紵というらしい。『世界美術大全集東洋編2秦・漢』は、夾紵胎という製作技法は、戦国時代に始まり前漢時代になってさらに高度に発達した。その製法は木や土で作った容器などの原体に苧麻布をかぶせ、漆で塗り固めたのち原体をはずして整形したものである。製作は頻雑だが、木胎漆器に比べてひび割れや伸び縮みがなく、しかも軽い製品を得ることができる。同一規格の製品を多数生産できる。木胎よりも製...
View Articleマゴキ・アッタリ・モスク1 ソグドの文様とイスラーム文様
マゴキ・アッタリ・モスクについて『中央アジアの傑作ブハラ』は、1930年に、考古学者は12世紀にさかのぼるモスクの南入り口を発掘した。入り口は、レンガ及びマジョリカでできたユニークな飾りで飾り付けがされているという。マジョリカとは彩釉タイルのこと。同書は、マゴキ・アッタルは、地元のモスクとして使われていた。その入り口は、リャビ・ハウズに向かっていた。上部が鍾乳石で飾られているアーチは、モスク前部入り...
View Articleマゴキ・アッタリ・モスク2 漆喰装飾
マゴキ・アッタリ・モスク『中央アジアの傑作ブハラ』は、同書は、入り口端の4分の1の二重コラムがプレイスラム教のソグド建築の古風な跡である。絶妙に編まれた飾りがある5枚の彫られたガンチのプレートが特に面白いという。ガンチというのは漆喰装飾のことだが、一見浮彫焼成レンガに見える。左上は失われている。左中段八角形と8点星を組み合わせて幾何学的な組紐の連続文様を作っている。中央の三角を組み合わせたものは、風...
View Articleマゴキ・アッタリ・モスク3 浮彫青釉タイル
マゴキ・アッタリ・モスクは、ブハラの旧市街の中では最も古い建物である。『ウズベキスタンシルクロードのオアシス』は、10世紀の建築。アラブ襲来以前はバ ザールとして利用され、ゾロアスター寺院もあった。現在は絨毯博物館となっている。マゴキとは穴という意味。1936年、ロシアの考古学者シシュキンが砂...
View Articleクニャ・アルクのタイル1 謁見の間
ヒヴァのイチャン・カラにある謁見の間(クリニシュ・ハナ)は、2本の円柱のあるアイワンの壁面がタイルで飾られている。しかも、日本では染付、中国では青花と呼ばれるコバルトブルーと白の絵付けタイルである。①...
View Articleクニャ・アルクのタイル2 モスク
クニャ・アルクは日干し煉瓦の外壁で、東門から入ると焼成レンガの建物という、土色一色だったが、謁見の間に入ると、一転して青の世界だった。そして、モスクもまた青の世界で、しかも、その絵付けタイルは、イルテザル・ハン(1804-06年)が建てた謁見の間のものとは異なる文様だった。モスクは、アッラクリ・ハン(1825-42)時代に建設された(『ウズベキスタンの歴史的な建造物』より)というから、20-40年ほ...
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