シャーヒ・ズィンダ廟群の浮彫タイルをみて、その起源を探してカザフのアイーシャ・ビビ廟のものまでを辿った。それについてはこちら
アイーシャ・ビビ廟の異形煉瓦 12世紀 カザフスタン、タラス
『イスラーム建築の世界史』は、壁面を覆い尽くす美しい煉瓦積技法に磨きがかかる。 サーマーン廟から継承したこの技法は、異形煉瓦やテラコッタを用いて高度になる。煉瓦の形と目地によって文様を編みだすばかりでなく、煉瓦の表面に凹凸の ある浮彫のテラコッタが多用された。煉瓦文様積技法の進化は、後述するタイル文化の素地となるという。
この壁面は、8点星浮彫タイルと、十字形浮彫タイルの組み合わせと、正方形浮彫タイルを縦に積んだり、ずらせて積み上げたりしている。
この8点星タイルと十字形タイルとの組み合わせは、13世紀に出現したものと思っていたが、もっと古いことが、この出土物で判明した。
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カラハン朝では、タイルよりも大きい壁面装飾板がテラコッタで作られていた。
壁面装飾板 カラハン朝、10-12世紀 テラコッタ サマルカンド歴史博物館蔵
『中央アジアの傑作サマルカンド』は、、カラハン朝とセルジュク朝については、10-11世紀において、テュルク族のカラハン朝とガズナ朝の攻撃により、サーマーン朝が崩壊した。11世紀の中頃には、西のカラハン朝はサマルカンドを首都として自立した国家を創った。当時はサマルカンドの最盛期であった。10万人が住んでいたという。
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そして、前回サーマーン廟のような建造物の起源を探っていて、7-10世紀(サーマーン朝以前とサーマーン朝期)のテラコッタを発見。
『中央アジアの傑作サマルカンド』は、アフラシアブの丘の西部に、9世紀から10世紀のサマニ朝の宮殿の遺跡が発掘された。残存しているのは、2つのホールの壁のみであるそれらは優雅な陶器の壁の腰板で装飾されていた。様式で、、似たような陶器の壁の腰板がワラフシャにあったブハラの王の宮殿で発掘された(7-8世紀)。その宮殿の装飾から、サマニ朝の時代にイスラム教が魔力のある自然崇拝と共存していたことがあきらかになったという。
同書には図版がどの時期のものか明記されていなかったので、どれがどの時代のものかはわからないが、10世紀かそれ以前のものということで、現在知る限りでは、浮彫焼成レンガの最古級の遺品になる。
鋭角の8点星を8弁花文と円文で囲んだ文様と四角形の枠内の空間を植物文が埋め尽くしている。これは型成形かな、彫りが浅い。
タイルの形としては正方形。
その左右のタイルの文様や、その構成法の図解。
別の浮彫タイルの出土物とその想像復元図
大きさがわからないので、レンガというよりはテラコッタの装飾板かも。といっても、浮彫焼成レンガとテラコッタの装飾板の違いは大きさだけ。
鋭角の8点星の方は彫りが浅かったが、この方が立体的で、しかも型ではなく、手彫り感があるので、こちらの方が古そう。
しかしながら、こちらはタイルの形としては8点星形となり、直角の8点星の中に連珠文のある二重の円、その中に蔓草文が表されている。
8点星タイルの周りには十字形の浮彫タイルが組み合わせられていたらしい。その中も複雑な幾何学文となっている。
8点星浮彫タイルと十字形浮彫タイルの組み合わせは、これが最古かな。
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関連項目
サーマーン廟1 入口周りが後の墓廟やメドレセのファサードに
ウズベキスタンの真珠サーマーン廟1 美しい外観
ウズベキスタンの真珠サーマーン廟2 内部も美しい
ラスター彩の起源はガラス
浮彫施釉タイルの起源は漆喰装飾や浮彫焼成レンガ
アフラシアブの丘 サマルカンド歴史博物館2
参考文献
「UZBEKISTAN The Great Silk Road TOURIST MAP」 Cartographia 2009年
「中央アジアの傑作 ブハラ」 SANAT 2006年
「シルクロード建築考」 岡野忠幸 1983年 東京美術選書32
「イスラーム建築の見かた-聖なる意匠の歴史」 深見奈緒子 2003年 東京堂出版
「岩波セミナーブックスS11 イスラーム建築の世界史」 深見奈緒子 2013年 岩波書店
「ウズベキスタン シルクロードのオアシス」 萩野矢慶記 2000年 東方出版