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パエストゥム アルカイック期の3つの神殿

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『世界美術大全集3』は、ギリシア人が南イタリアに建設した植民都市ポセイドニア(現パエストゥム)には、前6世紀半ばから前5世紀中頃にかけて建設されたドーリス式神殿が3棟残っているという。
その細部を時代順に見ていくと、

外観

第1ヘラ神殿(通称バシリカ) 前540年頃(パエストゥムで最古) 床面長さ54.27m 貝殻石灰岩
南の神殿は長辺の円柱が18本で短辺のちょうど2倍。

アテナ(ケレス)神殿 前510年頃 石灰岩(一部砂岩) 床面長さ32.88m 
『世界美術大全集3』は、前6世紀末にアゴラの北側に建てられたドーリス式神殿は、規模はさほど大きくないが、ドーリス式とイオニア式の二つのオーダーを併用した最も初期の例として興味深い。
正面6本側面13本の周柱式であるが、隅部での柱間の縮小はなく、逆に最外部のメトープの幅が広くなっている。したがって、トリグリフの間隔を均等にして柱の中心を内面へずらして隅部のおさまりを調整する古典的なドーリス式の規範からは外れているという。

第2ヘラ神殿(通称ネプチューン神殿) 前450年頃 床面長さ59.9
南側面

ギリシア神殿のファサードは東側

第1ヘラ神殿(西側しか写していなかった) 前540年頃 床面幅24.5m
円柱は9本と奇数。柱間は8つで、それが等間隔として、1柱間は3m強。

アテナ神殿のファサード 前510年頃 床面幅14.54
第1・第2ヘラ神殿から離れたところにあったので、こぢんまりした神殿だなと思ったし、円柱も細く華奢に見える。
立面図(説明パネルより)
ファサードの円柱は6本なので、等間隔として柱間は約2.4mと、第1ヘラ神殿よりも狭いが、円柱が細いので広く見える。

第2ヘラ神殿 前450年頃 床面幅24.3m
立面図
柱間が等間隔として、柱間が4.86mと一番広い。
前5世紀半ばともなれば、技術が向上して、上部構造(エンタブラチュア)の水平石材を長くとれるようになったのだろう。

平面図の比較

第1ヘラ神殿 前540年頃 円柱短辺9本、側面18本 床面24.5X54.27m 貝殻石灰岩
『世界美術大全集3』は、ドーリス式神殿としては異例の平面形式をもっている。正面9本、側面18本という周柱の数は、ドーリス式としては例外的に多いが、個々の円柱は全体の規模からすると比較的小さくつくられている。つまり、建築家は大規模な神殿をつくるに当たって、柱や梁の各部材寸法を大型化する代わりにその数を増やし、柱間を狭くして梁にかかる重量を軽減するとともに施工の合理化をはかったものと考えられる。このことはナオスの中央に列柱を置き、壁体と列柱で全幅を4等分したことにも表れている。
周柱と壁体との間隔が広く、柱間にしておよそ2間分が取られている点は、コルフのアルテミス神殿(前580年頃)からの影響が感じられるという。
柱間を狭くして梁にかかる重量を軽減するというのは、古代エジプトのルクソール、カルナック神殿大列柱室で実感できた。そこでは縦横に円柱が密に並んでいて、大きな広間の開放感は感じられず、前後左右に壁が迫っているような閉塞感があって、帰国後もあれは何だったのかと思い続けて、結局は、当時の技術では、上に渡す梁の長さに制限があるので、たくさんの柱が必要だったのだということが分かった(それを記事にするのを長年忘れていたことに気付いた)。
『PAESTUM』は、内部はプロナオス(前室)が2本の大きな柱に支えられている。主室(ケラ)は中央の列柱で2つの身廊に分割されているという。
なんといってもナオスの中央に列柱があるのが特徴だが、それも重量軽減の工夫だったとは。
周柱と壁面の間を柱廊(ペリスタシス)が巡る。東側が入口で、壁の内側は、前室(プロナオス)、主室(ケラ、ナオス)、後室(オピストドモス)となっている。

アテナ神殿 前510年頃
平面図 円柱短辺6本長辺13本 床面14.54X32.88m 
『世界美術大全集3』は、前6世紀末にアゴラの北側に建てられたドーリス式神殿は、規模はさほど大きくないが、ドーリス式とイオニア式の二つのオーダーを併用した最も初期の例として興味深い。
正面6本側面13本の周柱式であるという。
ファサード(東側、説明パネルの平面図では下)から入ると何と呼ばれていたのか記されていない列柱廊があり、1段上がると壁に囲まれた玄関の間(vestibolo)、奥行のある段が4つ。最後の段は浅く、左右に階段がもうけられている。
ナオス(けら)に入ってすぐに、両側に階段がかる。後室(オピストドモス)はない。

第2ヘラ神殿 前450年頃
平面図(説明パネルより)円柱短辺6本長辺14本  
壁面で囲まれた①前室(プロナオス)の前には2本の円柱、②ナオスとの境界にはアテナ神殿と同じように、両側に階段がある。ナオスと③後室は壁で仕切られているので、背後の2本の円柱側から後室に入ることになる。

上部構造(エンタブラチュア)

第1ヘラ神殿 前540年頃
トリグリフさえ残っていないのが残念。
でも、その上にはアテナ神殿付近で出土したテラコッタの軒飾りのようなものが巡っていたかも。

アテナ神殿 前510年頃
軒飾り(説明パネルより)
隣接の国立考古学博物館に展示されていた。
ライオン頭部の両側にロータス文、それがパルメット文と交互に配されている。
結構立体的に造られていて、樋口として機能していたことを窺わせる。
『世界美術大全集3』は、2層の刳形のみで構成されるコーニスの上に直接ペディメント(破風)が載っているため、レグラやグッタエ、ムトゥルスといったドーリス式固有の建築要素すら欠いているなど、随所にイオニア式からの影響を観察することができるという。
レグラ
2層の刳り形というものが、前6世紀末にはすでにあったのだ。


第2ヘラ神殿 前450年頃
トリグリフとメトープが規則正しく並ぶ上部に突き出ているのは、軒先に木釘で留められた垂木を表した(『世界美術大全集3』より)デルフィのアテナ神殿(前380または330年頃)の遺構でも目にしたグッタエ(露玉装飾)付きの小板(ムトゥルス)。

円柱

第1ヘラ神殿 前540年頃
円柱はずんぐりしたエンタシス。
同書は、切妻の高さは正面の幅によって決まるので、柱頸部がかなりくびれた背の低い円柱の上に大きな三角破風を載せた姿は、かなり押し潰された印象を与えたはずであるという。
下から見上げると、浅いが膨らみのあるアバクスの付け根には表現は妙だが、蓮弁状の刳形が巡っている。その下にも文様があるらしい。

アテナ神殿 前510年頃
アバクスは第1ヘラ神殿の円柱と似て、膨らみのある平たい形。
見上げると、アバクスの付け根には2本の玉縁があり、その間に第1ヘラ神殿のものよりも反りが深い蓮弁状のものが巡る。
説明パネルより
ただし、アテナ神殿には前室に柱列があり、その柱頭は渦巻のあるイオニア式という、例外的なものだった。

第2ヘラ神殿 前450年頃
『PAESTUM』は、円柱は少し細身になったという。
第1ヘラ神殿の柱頭ほどえぐれていない代わりに膨らみもない。
ナオスの列柱の一つは、外側の列柱と同じく3本の線とその下の溝彫り(フルーティング)には下向きの曲線が3本刻まれている。
上階の円柱の柱頭
細く低い柱身だが、装飾は同じ。

関連項目
エピダウロス3 考古博物館に神殿の上部構造
ギリシア神殿2 石の柱へ

参考文献
「世界美術大全集3 エーゲ海とギリシア・アルカイック」 1997年 小学館
「PAESTUM THE CITY OF THREE TEMPLES」 2016年 VISION S.r.l.
「イラスト資料 世界の建築」 古宇田實・斎藤茂三郎 1996年 マール社


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