竹中大工道具館4
竹中大工道具館には大工道具がずらりと並んだ壁面があった。そし、下の階に行くと、伐木道具が壁に掛けられ、その下には丸太にそれらの道具を嵌め込んで、どのように使ったかが分かるように再現されていた。それを『竹中大工道具館常設展示図録』でみていくと、杣斧と鋸-木を伐る同書は、森に立つ樹木を伐り倒すことから、材が生まれる。木を育て、日のあたり具合や地勢、風向きなどの立地を的確に見極め、木を伐り倒す職人を杣(そ...
View Articleアフラシアブの丘が遺跡になるまで
サマルカンドの街は、チンギスハーンに破壊されるまで、現在アフラシアブの丘と呼ばれるところにあった。アフラシアブの名は何に由来するのだろう。『中央アジアの傑作サマルカンド』は、旧石器時代から人々が住んでいた古代都市は、ザラフシャン川沿いの低地に位置している。紀元前30世紀から20世紀にかけて、ここはインドとイランの共通性から形成された中心地であった。紀元前20世紀と10世紀の間は、東イランの諸種族が定...
View Articleソグド人の納骨器、オッスアリ
『中央アジアの傑作サマルカンド』は、アラビア軍が侵略してくるまで、中央アジアではゾロアスター教の宗教的伝統が圧倒的であった。ゾロアスター教は、インド・イランの古代の神々を敬い、それらの中でも特に、太陽の神ミートラ男神は家畜の群れと戦士の守護神として、月の神アナヒタ女神は農業の守り神として崇められていた。ゾロアスター教の主な信仰のシンボルは火である。人生の終わりにはすべての者が、悪と闘う宇宙の法たる神...
View Article連珠円文は7世紀に流行した
アフラシアブの丘で出土したソグドの宮殿の正壁には、サマルカンドにおいて行われた盛大な式典の様子が描かれている。場面の下方には特徴的な服装や冠を身につけた外国使節の姿が描かれている(『ソグドの美術と言語』より)。西壁(正壁)にはソグド系の国々の使者たちの服装が比較的よく残っている。『HALL OF...
View Article連珠円文は7世紀に流行した2
アフラシアブ出土イッシュヒッドの宮殿南壁の壁画でも、登場人物の衣裳に連珠円文が多く使われていた。南壁左端に描かれたワルフマーン王の先祖の墓廟のなかにも、大きな連珠円文を3つほど重ねた赤地の衣裳を着用している人物がいる。ワルフマーン王の妃が乗っていたとされる白い象の背中に掛けた丸い敷物に大きな連珠円文があった。拡大すると、獅子が描かれている。しかも、右前肢をあげて有翼のライオンだった。このライオンはど...
View Articleイッシュヒッド宮殿の壁画に羊文
サマルカンド歴史博物館に再現されているイッシュヒッド宮殿の壁画(7世紀後半)には、人物の衣裳に連珠円文が多く使われていた。中には咋鳥文やシームルグ文などもあったが、羊文もあることを想像復元図で知った。それについてはこちら左に描かている羊文がこのようだったという。角は左右に開いて曲がり、顎鬚があり、咋鳥が銜えている首飾りのようなものをして、その端についたリボンが風で靡いている、体には鋸壁文のようなもの...
View Articleササン朝の首のリボンはゾロアスター教
サマルカンド歴史博物館に再現されているイッシュヒッド宮殿の壁画(7世紀後半)には咋鳥文やシームルグ文などもあったが、羊文もあることを想像復元図で知った。それについてはこちら左に描かている羊文がこのようだったという。角は左右に開いて曲がり、顎鬚があり、咋鳥が銜えている首飾りのようなものをして、その端についたリボンが風で靡いている、体には鋸壁文のようなものがある。見るからにササン朝っぽい。羊に首飾りや後...
View Article直交座標系と極座標系のムカルナス
シャーヒ・ズィンダ廟群の入口を入って夏用のモスクを過ぎて階段が始まる左側に2つのドームの廟(15世紀初)がある。『中央アジアの傑作サマルカンド』は、ウルグベク時代に、西階段の方角の2番目のチョルタックの下に、2つのドームの廟が建築された。伝説によると、この廟はアムール・チムールの乳母ウルジャ・イナガと彼女の娘ビビ・シネブのために建築されたという。20世紀の中頃には、この廟は天文家のカジ・ザデ・ルミの...
View Article装飾的なムカルナス
シャーヒ・ズィンダ廟群の入口を入って夏用のモスクを過ぎて階段が始まる左側に2つのドームの廟(15世紀初)がある。『中央アジアの傑作サマルカンド』は、ウルグベク時代に、西階段の方角の2番目のチョルタックの下に、2つのドームの廟が建築された。伝説によると、この廟はアムール・チムールの乳母ウルジャ・イナガと彼女の娘ビビ・シネブのために建築されたという。20世紀の中頃には、この廟は天文家のカジ・ザデ・ルミの...
View Articleシャーヒ・ズィンダ廟群の浮彫タイル1
シャーヒ・ズィンダ廟群では、浮彫タイルの素晴らしさに目を奪われた。12 アミール・ザーデ廟 AMIRZADE MAUSOLEUM 1386年イーワーン両側の壁面には、白い八点星にトルコ・ブルーの突起を連ねた細い文様帯と、八弁花文を並べたものが浮彫タイルだ。...
View Article浮彫タイルは浮き出しタイルとは別物
シャーヒ・ズィンダ廟群では、14世紀後半には、壁面装飾として、すでに完成した浮彫タイルがふんだんに使われていた。それについてはこちら12 アミール・ザーデ廟 AMIRZADE MAUSOLEUM 1386年13 トグル・テキン廟 TUGLU TEKIN MAUSOLEUM 1376年14 シャディ・ムルク・アガ廟 SHODI MULK OKO MAUSOEUM...
View Article田上惠美子氏硝子展はあべのハルカスで
昨日予報よりも早く雨が降り始め、本格的な梅雨となった。梅雨って日本には必要やもんね、などと思ってみても、やはり薄暗く鬱陶しい。夕刻帰宅すると、その梅雨空を忘れさせるような爽やかな葉書が届いた。それは蜻蛉玉作家、田上惠美子氏からの個展案内だった。でも、中には田上氏らしからぬ作品もある。青い蓮華のトンボ玉や、下の方にキキョウをあしらった香合など、パートドヴェールも始めたんですか、田上さん?作風が変わった...
View Article浮彫施釉タイルの起源は漆喰装飾や浮彫焼成レンガ
シャーヒ・ズィンダ廟群の透彫かとも思えるほどの高浮彫の浮彫タイルは、浮出タイルから発展したのではなかった。それについてはこちら12:アミール・ザーデ廟 AMIRZADE MAUSOLEUM 1386年 14:シャディ・ムルク・アガ廟 SHODI MULK OKO MAUSOEUM...
View Article漆喰装飾を遡る
シャーヒ・ズィンダ廟群の浮彫施釉タイルの起源を探っていくと、アイーシャ・ビビ廟の異形煉瓦にいきついた。アイーシャ・ビビ廟の異形煉瓦 12世紀 カザフスタン、タラス...
View Articleシャーヒ・ズィンダ廟群に植物文のモザイク・タイル出現
シャーヒ・ズィンダ廟群では、浮彫タイルのある廟に続いて、モザイク・タイルの素晴らしいシリング・ベク・アガ廟(SHIRIN BEKA MAUSOLEUM...
View Articleハフト・ランギー(クエルダ・セカ)の初例はウスト・アリ・ネセフィ廟
『砂漠にもえたつ色彩展図録』は、何といっても注目せねばならないのは、ハフト・ランギー技法の出現で、先のサファヴィー朝技法の先駆けとなった。その初例は管見の限りシャーヒ・ズィンダーに見受けられる。サファヴィー朝の首都イスファハーンに建立されたマスジディ・シャーでは、ほぼ20㎝角のタイルに、青を基調に空色、緑、白、黄、黒などの彩色がなされており、この技法を現代イランのタイル職人たちはハフト・ランギーと呼...
View Articleラージュヴァルディーナ・タイルとは
ラージュヴァルディーナは大型のフリーズタイルを岡山市立オリエント美術館で見ていた。藍地色絵金彩鳳凰文フリーズタイル 1270年代 イラン、タフテ・ソレイマーン出土...
View Articleラージュヴァルディーナはタイル以外にも
サマルカンドのシャーヒ・ズィンダ廟群、24:無名の廟2(14世紀後半)でラージュヴァルディーナのタイルを見つけた。『砂漠にもえたつ色彩展図録』で枡屋友子氏は、13世紀後半にイランで始まった技法で、14世紀末まで中央アジアで続けられた。登場初期には中絵付を持つ白釉の上に施されたが、13世紀末までにには、わずかにターコイズ釉の地のものもあるものの、藍色釉の地が大半を占めるようになり、藍色を意味するペルシ...
View Articleラスター彩の起源はガラス
『世界美術大全集東洋編17イスラーム』は、15世紀のティムール朝に発達したタイ ルの技法の例は、すべてシャーヒ・ズィンデ墓廟群に見ることができる。イランと中央アジアで完成を見たタイルの技法としては、ティームール朝以前から使わ れてきたラスター彩と上絵付のラージュヴァルディーナ彩、14世紀後半から15世紀初期に中央アジアで発達したクエルダ・セカなどが継続して使われた。新...
View Articleトマン・アガのモスクには組紐付幾何学文のモザイク・タイル
『砂漠にもえたつ色彩展図録』で深見奈緒子氏は、モザイク・タイルとは、一色の釉薬 をかけた板状のタイルを焼き、それを細かく刻んでモザイクのように組み合わせて文様を作る技法である。この技法はペルシア語でモアッラグと呼ばれ、下絵付 けタイルやハフト・ランギーとは異なり、タイルを切り刻んで修正するという工程が付け足される。言いかえれば、下絵付けやハフト・ランギーは陶器にも同じ...
View Article